瓦(かわら、英: roof tiles)は、屋根葺きに用いられる代表的な建材である[1]。
歴史的に見れば、用いられてきた瓦のほとんどが粘土を焼いて作られていたものであり、他の素材のものはあまりなかった。「瓦」という漢字は、もともとは屋根[2]の建材に限らず、粘土を素焼きしたもの全般を意味している[注 1][注 2]。
ドイツでは、粘土製のものをZiegel(ツィーゲル=煉瓦)またはDachziegel(ダッハ・ツィーゲル=屋根の煉瓦)、セメント製のものをDachstein(ダッハ・シュタイン=屋根の石材)と呼んでいる。
瓦は、洋の東西を問わず古くから用いられている[1]。しかし、瓦が誰によっていつごろ発明されたかはよくわかっていない[4]。
発見されている世界で最も古い瓦は中国の陳西省西安の近郊から出土したもので薄手の平瓦である[4]。中国では夏王朝の時代に陶製の瓦が作られていたという記録があり、春秋戦国時代の瓦は遺物として残っている[1]。
西洋ではたとえばギリシアでは古代ギリシアの時代から、民家は茅葺き屋根と並んで瓦屋根も用いられていた。パルテノン神殿も、(現在では遺跡になり、上部の屋根が消失し、下から空が見えてしまい、下から見ると白っぽい石製の柱やファサードばかりが眼につく建物になってはいるが)もともと神殿として使われていた当時は木材で小屋組がされた屋根があったのであり、屋根の表面は大理石の瓦で覆ってあったのである。
この節の加筆が望まれています。 |


瓦の「葺き方」つまり分かりやすく言うと屋根に実際に設置する時の "重ね方" や "並べ方" も、下に説明するように多数ある。
世界での主たる販売業者としては、Braas Monier Building Group、Etex、IKO、Wienerbergerなどが挙げられる[16]。
ホテル建設市場では、世界的に見るとホテルが高級志向になってきており瓦屋根で施工されることが増えてきており、瓦の需要が増している[16]。
瓦が葺かれた屋根を「瓦葺き(かわらぶき)」、「瓦葺屋根」、「甍(いらか)」と言う。
形や用途、焼成法、色、等級、産地など様々な分類法があり、数え方によっては1000を超えるほどの種類がある。特に鬼面が施された「鬼瓦(おにがわら)」や瓦当(がとう=軒丸瓦先端の円形部分)の文様は、芸術品としての評価もある[17]。
日本の甍は天辺が水平なものが多い[要出典]。
粘土瓦の製法は、本来の素焼きよりも釉薬が使われるほうが増えたので、現在では、釉薬を使用する瓦と、釉薬を使用せず素焼きにする「無釉薬瓦」とに大別されるようになっている。
2006年現在で、日本国内で稼働している最大の瓦窯は、容積としては長さ110m×幅F形12列1段のトンネル窯である。最長は、125mのトンネル窯(幅、F形9列1段)である[18]。
粘土以外の材料を用いた瓦は、日本では粘土瓦と区別しつつ、材料名+「瓦」のかたちで呼ばれることが多い。なかでも石瓦や銅瓦は歴史的にも古くから用いられてきたものである。現在でも、セメントを用いたセメント瓦、金属を用いた金属瓦等が、粘土瓦が向かない 寒冷地、寺社、歴史的建造物等によって用いられることがある。
瓦を屋根に施工することを瓦を葺く(ふく)といい、その施工に携わる職人や業者を瓦葺き職人(かわらぶきしょくにん)と呼ぶことがある。
なお、日本海側の積雪地帯を中心とする寒冷地では、粘土瓦は内部の水分が凍結して破損、剥落することが多く、屋根の積雪への対策もあり、北日本の家屋では粘土瓦の使用は避けて金属板葺き(瓦棒・平板(一文字など)など)やスレート葺きなどが多い。
瓦は日本では、その本来の屋根建材としての用途のみに限らず、平瓦を壁に用いて漆喰で継ぎ手を板かまぼこ状に盛り固めた「海鼠壁(なまこかべ)」や、瓦や石などを粘土で接着し固めて造る「練塀(ねりべい)」などの壁材[5]、寺院の基壇のタイルのような役目や、雨落ちや溝の一部としても用いられる[17]。
建築以外では、空手道や中国拳法の試割り(瓦割り)にも用いられる[注 4]。また、「瓦割り」は屋根業界では、瓦を葺くため、屋根に割り付けをするという意味で用いられる。「地割り」ともいわれる。
瓦そばのように、瓦が調理器具、食器として使われる事例もあるが、そういった用途には専用の瓦が製造されている[19]。

『日本書紀』によると日本には西暦588年に百済から仏教と共に伝来したとされている[4]。百済からは麻奈文奴、陽貴文、陵貴文、昔麻帝弥の4人の専門家(瓦博士)が派遣され、飛鳥寺の創建で初めて使用されたとされる[20][4]。現存日本最古の瓦は飛鳥時代のもので、元興寺(飛鳥寺を移築)の極楽坊本堂と禅室に葺かれている瓦とされる。
寺院以外で使用された最初の例は7世紀末に建設された藤原京とされている[4]。大極殿などの宮殿は瓦葺きで建てられていることが考古学的に確認されていることから、初めて寺院以外で瓦が使用されたとみられている。藤原京の建設では瓦生産が周辺地域だけでは追い付かず、近江、淡路、讃岐などでも生産が始まった[4]。この頃の瓦窯遺構としては宗吉瓦窯(現在の香川県三豊市三野町吉津)の17号窯[21]がある。しかし、地方においては、8世紀中頃以前は瓦葺きは寺院に限られると見てよい[22]。
奈良時代、平安時代にはいると、瓦は寺院、宮殿の他、官衙にも用いられるようになる。特に、地方でも国府や国分寺といった国家権力を象徴する建物にも用いられるようになる。しかし、絵画史料から、貴族の邸宅は桧皮葺で、瓦は公的な建物にしか用いなかったことがわかる。各地には瓦屋(がおく)と呼ばれる瓦を生産、供給する役所が設けられ、決められた寺院や役所に瓦を納品していた。


近世に入ると、瓦は、それまでは仮設建物が多かった城郭の建築物へも用いられるようになる。特に、安土桃山時代には鯱瓦や鬼瓦、軒瓦に金箔を施した金箔瓦もあった。文禄・慶長の役で朝鮮から伝わったといわれる軒平瓦の瓦当に逆三角形の板が付いた滴水瓦もあった。江戸時代前後には屋根の軽量化を図るために銅や鉛の金属で作られた金属瓦も用いられ始めた。
江戸時代になっても一般庶民の家屋は板葺きが一般的で瓦葺きが普及したのは江戸時代末期のことである[4]。
当初、幕府は「奢侈禁令」により庶民が屋根瓦を使うことを禁じていたが、江戸などでは火事対策の観点から屋根瓦の使用を奨励するようになり葺き替えに助成金を出すようになったことで次第に普及した[4]。また、江戸時代には近江の三井寺の瓦師である西村半兵衛が平瓦と丸瓦を合わせたような形状の桟瓦を開発したと言われている[4]。これにより、瓦を用いる量が減り、瓦を用いるための建物強度のハードルが低くなった。
ただし、日本海側の積雪地帯を中心とする寒冷地では、粘土瓦は内部の水分が凍結して破損、剥落することが多く、屋根の積雪への対策もあり、瓦葺きはあまり普及しなかった。
従来の桟瓦は明治時代の初期に改良され引掛桟瓦が開発された[4]。1926年以降、引掛桟瓦は当時の内務省の奨励もあったことから瓦葺きに用いる標準的な瓦となり広く普及している[4]。
一方、明治時代になると横浜でフランス人のアルフレッド・ジェラールが洋風建築用としてフランス型の瓦(ジェラール瓦(フランス瓦))の製造を始めた[4]。また大正時代にはスペインからスパニッシュ瓦が輸入され、これを参考に三州瓦の産地の三河では「S形瓦」が誕生した[4]。これらの新たな瓦は「洋瓦」と呼ばれている[4]。
寺院や城など文化財となっている近世以前の建物に使われる瓦は、現代の一般的な瓦とは大きさなどが異なることが多い。こうした文化財の修復時には、その建物で使われている瓦の形や大きさ、材質などを調査して、なるべく近い瓦を新たに焼き、破損した瓦と交換する。こうした研究や瓦葺き技術の継承を行う「日本伝統瓦技術保存会」が1991年から活動している[25][26]。
1990年代からは不況による住宅建築の初期費用の削減に加え、瓦屋根は地震に弱いという誤解が1995年の阪神淡路大震災を切っ掛けとして広まった事等により、陶器瓦は1980年をピークに2014年は4分の1まで、いぶし瓦は1993年をピークに2014年は6分の1まで低下した[27][28]。
現在では、防災性を向上させた軽量防災瓦や、ガルバリウム鋼鈑の表面を自然石粒でコーティングした自然石粒付鋼鈑が登場している[29]。
2020年、国土交通省は瓦屋根について建築基準法の告示基準を改正し、従来の告示基準を上回る自然災害に強いガイドライン工法を義務とすると発表し、2022年1月1日より施行された。ガイドライン工法は業界団体が独自に定めていたものであるが、義務化の背景には自然災害の激甚化や多発がある[30][31][32]。ガイドライン工法により震度7クラスの地震、50年に一度発生する可能性のある強風に耐えることが可能であることが確認されている[33]。
以下が日本三大瓦産地とされる[34]。
また、他に以下の主産地がある[34]。
未登録
IPFS未登録
📡 0ピア
N=1
CRITICAL
PQS B77