正倉一文

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正倉 一文
(まさくらいちぶん)
同人誌会員 正倉一文
生誕 1958年(67 - 68歳)
東京都の旗 東京都品川区東五反田
職業 同人誌会員
随筆家
自称・デジタルクリエイター
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 日本大学 農獣医学部 獣医学科 中退
北海道大学 経済学部 経済学科 卒業
ジャンル
文学活動 同人誌
文芸誌
自作・文学ウェブ
代表作 エッセイ:
  • 「冬の庭」
  • 「前途晴朗なり」
  • 「父とすいとん」
  • 「ステンレス鋼」
  • 「絶望から希望へ」
  • 「父、東京へ 苦学の思い出」
  • 「虎ノ門から葉桜へ - 組織と信念」
主な受賞歴 エッセイ:
  • 第21回 文芸思潮エッセイ賞 佳作
  • 第20回 文芸思潮エッセイ賞 優秀賞
  • 第19回 文芸思潮エッセイ賞 佳作
  • 第18回 文芸思潮エッセイ賞 奨励賞
  • 第17回 文芸思潮エッセイ賞 入選
  • 第15回 文芸思潮エッセイ賞 佳作
  • 第14回 文芸思潮エッセイ賞 佳作
  • 第25回 随筆春秋賞 奨励賞
  • 第24回 随筆春秋賞 奨励賞
  • 第23回 随筆春秋賞 奨励賞
小説:
  • 第18回 文芸思潮 銀華文学賞 入選
ピアノ:
  • 第2回 河合楽器音楽コンクール全国大会 ピアノ中級部門 委員長賞(1位)
デビュー作 エッセイ :
「ステンレス鋼」
公式サイト 随筆春秋ポータル(公式)
文学世界.com
【文筆検定】
日本語文章力四段(プロ級)
(日本語文章力検定協会)
◆
【会社歴】
日本製鉄株式会社※
SMC 株式会社
日本エア・リキード株式会社
(2000年、42歳で会社退職)
(※在籍当時:日本金属工業株式会社)
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正倉 一文(まさくら いちぶん、1958年〈昭和33年〉[1][2] - )は、日本の随筆家[1][2]。同人誌「随筆春秋」の会員[3]で、直木賞作家・佐藤愛子[注釈 1][4]、エッセイスト・近藤健[注釈 2]に師事[5][6][7]。日本語文章力検定協会による日本語文章力四段(プロ級)を取得している[8][9]。自称・デジタルクリエイター[10]。

略歴

出生から現在へ

1958年、東京都品川区東五反田の池田山に建設された関東逓信病院[注釈 3](現・NTT東日本関東病院)で生まれる[11]。当時、父親は日本電信電話公社(現・NTT)に勤務する公務員だった[注釈 4][11]。退職後、父親には瑞宝双光章(叙勲)[注釈 5][12]が授与され、逝去後[注釈 6]は従六位(叙位)[12]に叙されている。

東京都立富士高等学校を卒業[13]後、現役で、千葉大学工学部建築学科に不合格[14][15]。一浪して、日本大学農獣医学部獣医学科に進学[16]するが、受験直前の失恋が原因で1年生前期学期終了後、中退[17]。

その後、北海道大学経済学部経済学科に入学。札幌市内の藻岩山の麓にあった学生寮に入寮し北海道を初体験する[18]。1984年に同校を卒業[19]後は、日本金属工業(再編を経て、現・日本製鉄)[注釈 7]、SMC、テイサン(旧・帝國酸素、現・日本エア・リキード)と製造業に勤務。

どの会社にも幹部候補で採用されたが、2000年42歳のとき、最終勤務先を手取り年収400万円台の実質現業職で退職した。[20]結局、会社では相応の収入を得られず、資産運用を学ばざるを得なかった。[20][21]一方、親族[注釈 8]には医師5人と大学教員2人がいる(2024年当時)。[19]

2015年には自分史の執筆を開始し、翌2016年にはその製本版と電子版を上梓(詳細は「自分史」を参照のこと)。2017年、59歳で随筆春秋賞に応募したのを契機に、同年10月には同人誌「随筆春秋」[22]の事務局に掬われ[注釈 9][23]会員となり、以後は同誌を中心に活動し、現在に至る[1][2]。

音楽の道を断念

遡って1968年8月[24]には、第2回カワイ楽器音楽コンクール全国大会(場所:東京文化会館、小ホール)のピアノ中級部門で委員長賞(1位)を受賞[24][25][26]。都内中野区の小学4年生だった。河合楽器製作所社長(当時)・河合滋より賞状を授与される[24]。受賞は、大手新聞地方版でも報じられた[26][27]。

ゲスト審査員のクロイツァー豊子[注釈 10]が当該大会の「大賞」(総合1位)に推したが、同賞はピアノ上級部門から選出するという大会規定(当時)により見送られた[注釈 11][26]。

なお、同大会でピアノ中級部門・努力賞(3位)を受賞した宮田信司[25]は、その後東京藝術大学、ドイツ国立・リューベック音楽大学を卒業[28]。現在(2026年)、高知大学・教育学部の名誉教授(音楽教育)である[28][29]。

同年秋には、カワイ音楽教室のピアノ教師を対象に、指揮者・近衛秀麿[注釈 12]を迎えた公開個人レッスンが鬼怒川温泉・あさやホテルで開かれ、近衛の指導のもと、同年のコンクール課題曲を演奏した[27]。

その後、NHKが放送していた音楽教室[注釈 13]へのテレビ出演の打診を受けたが辞退。さらには、東京藝術大学のピアノ科教授から入門許可[注釈 14]を得たが両親の方針により、音楽家への道を断念。

当時は、東京藝術大学に進学するには、事前に、当該大学の教授に師事しておくのが、有利とされる風潮があった[要出典]。

ポスター展入選

1971年、中学2年生のとき、美大出身の担任教諭の指導で、東京都「緑の週間」ポスターコンクール[注釈 15]に応募し、入選した経験がある[26]。

中学では武藤肇[注釈 16][31][32]と同級生で、レコード鑑賞を通してクラシック音楽を伝授された。武藤はのちに学習院大学のオーケストラ部でビオラを担当し、同じパートには現在の天皇陛下がいた[33]。

山中の合宿生活

1990年4月からの1年間[注釈 17]、31歳から32歳にかけて、岐阜県恵那郡串原村(現・恵那市串原)の標高700メートルの山中にある、世界救世教いづのめ教団が運営する、自然農法の試験農場「串原センター・耕福塾」で合宿生活を送る。そこで総勢約30名のまかない[注釈 18]を一手に引き受けていた。

塾生全員で、富士山西面の「大沢崩れ」の侵食対策として、行政主導で実施されたプロジェクトに参加した。作業では、笹の苗の根の部分に土を丸く固めたもの(現場では「ささだんご」と呼称。これを大沢崩れの斜面に定着させる目論見)を袋に詰め、約30kgの荷として山頂・外輪山の山小屋・富士見亭(現・頂上富士館[34])から各自が背負って運搬した。この夏、塾生は富士見亭に1週間を超えて宿泊した[35]。

舎監(塾長)である伊藤孝一(元・関東学院大学国際交流センター初代室長、プロテスタントで無教会主義を信奉)の指導のもと、塾生一同で1冊の本を上梓した。その際、印刷を依頼した静岡県沼津市にある図書印刷の工場に1週間寝泊まりして仕事[注釈 19]を覚えた。

耕福塾での経験は後年の作品の素材ともなっている[36][35]。

海自艦船に乗艦

1993年5月以降、テイサンに勤務し、都内事業所で技術営業を担当した。当時は医療用MRIの導入が本格化し始めた黎明期[注釈 20][37]であり、MRIの超電導コイルの冷却材である液体ヘリウムの需要が拡大し、その販売活動に従事した[38]。

また、同社では潜水ガスを製造しており、海上自衛隊の潜水医学の研究部門と接点があった。1993年から1994年にかけて海上自衛隊横須賀基地を訪問する機会があり、艦船に乗艦することがあった。潜水艦では、毎週金曜日の規定メニューであるカレーライス[注釈 21]も、艦内で何度か供された[23][39]。その後、会社では、子会社に出向[38][40]となり、最終的には筑波山を間近に望む工場に配置転換[38][40]となる。

失われた15年

2000年、42歳で日本エア・リキードを退職し、会社員人生を終える。その後の15年、つまり57歳で自分史の執筆を開始するまでは、特に記すべきこともない人生を送ることになる(失われた15年)[41][42]。その間、2008年、50歳を過ぎてから非定型発達者であることが専門医の診断により判明する[43]。その影響もあり、成育期に受けたいじめや暴力を題材とした作品も発表している[44]。

この15年は、1993年のバブル崩壊[注釈 22]に続く長期停滞、いわゆる「失われた30年」の中盤にあたり、森政権に続く小泉政権から第2次安倍政権へと至る、首相が頻繁に交代した不安定な時代だった。

2017年、59歳で同人誌「随筆春秋」の事務局に掬われ[注釈 9]会員となり、現在に至る。

総論的締め括り

文学世界.comに掲載された自叙的作品群を通覧すると[45]、正倉の人生に深刻な影響を与えたトリガーは二つである。一つは受験期の失恋であり[17]、もう一つは最終勤務先での左遷である[20]。震災に例えれば、前者で半壊し、後者で全壊している。もっとも失恋も左遷も多くの人々が経験するところではある。

また、正倉が現在所属する随筆春秋は、Wikipedia、WordPress、青空文庫と同様、社会貢献団体である。つまり、これらを支えているのは有志諸氏による無償活動である。(随筆春秋の)そういうところが気に入っているのだ、と正倉は自身のHPに綴っている[46]。

文学活動

文芸思潮

文芸思潮は、年4回発刊される文芸誌であり、各種文学賞を主催する団体である[注釈 23]。これらについては山梨日日新聞[注釈 24]が継続的に報じている[47][48][49][50][51][52]。また、同誌に関しては、全国紙で取り上げられることがある[53][54][55][56][57]。文芸思潮が主催する文学賞には大学教員の受賞もあり[58]、ほかに常連のエッセイ賞・受賞者の中には歴史作家[59]や出版社の元編集長[60]などもいる[61]。正倉は、文芸思潮エッセイ賞などに応募活動を行なっている[62]。

随筆春秋

随筆春秋[注釈 25]は、年2回発刊の同人誌である。佐藤愛子が1995年から2026年に死去するまでの30年以上にわたり、指導者を務めた[63]。同誌については全国紙などで取り上げられることがある[64][65]。同誌文学賞の募集要項は、随筆春秋ポータル(公式) [66]や公募ガイド社のウェブで継続的に公開されている。

文章修行

正倉の公式サイトによれば、随筆春秋代表理事の池田元から入会時に「文筆家として独り立ちするには早くて5年、通常は10年かかる」と助言を受け、文章修行として筆写を勧められたという[67]。

池田によれば、佐藤愛子は加藤武雄や北原武夫の作品を筆写したのち、アーネスト・ヘミングウェイの日本語訳を筆写している。佐藤の文体は、元新聞記者のヘミング・ウェイが用いた短く区切った骨太の文章と相通じるものがある。一方、随筆春秋代表・近藤健は、元朝日新聞記者でエッセイストの斎藤信也(元随筆春秋代表)から約40本の作品について添削指導を受けている[67]。

正倉自身も筆写を行い、添削指導を受けている。佐藤の長編作品『晩鐘』(上下巻)および『血脈』(上中下巻)の全文をパソコンで筆写し、丸4年以上の時間を費やした(『晩鐘』は2018年2月15日から同年5月19日、『血脈』は2018年5月23日から2022年1月24日の期間)。近藤からは約40本のエッセイについて添削指導を受けている[67]。

筆写や添削と並行して、日常的に短文の習作をテキスト形式で作成し、パソコンに保存している[注釈 26]。公式サイトによれば、2017年11月12日に初作「ヤマザキパン」を執筆して以降、2024年8月17日時点で習作は1610作に達しているという[68]。

前述のとおりデジタルクリエイターを自称し[10]、自身の作品を掲載するためのウェブや所属する同人誌のHPの制作、製作を行っている。また、百科全書的サイトの記事立項、編集などにも携わっている[10]。2026年には個人出版者としてISBNを取得している[67]。

受賞歴

エッセイ

「文芸思潮」エッセイ賞

  • 2026年「虎ノ門から葉桜へ - 組織と信念」第21回 文芸思潮 エッセイ賞・佳作[69][62]
  • 2025年「父とすいとん」第20回 文芸思潮 エッセイ賞・優秀賞[70][71]
  • 2024年「前途晴朗なり」第19回 文芸思潮 エッセイ賞・佳作[72]
  • 2023年「絶望から希望へ」第18回 文芸思潮 エッセイ賞・奨励賞[73][74]
  • 2022年「冬の庭」第17回 文芸思潮 エッセイ賞・入選[75]
  • 2020年「夢を追う覚悟」第15回 文芸思潮 エッセイ賞・佳作[76]
  • 2019年「ステンレス鋼」第14回 文芸思潮 エッセイ賞・佳作[77][78]

随筆春秋賞

  • 2019年「犬走りを行く」第25回 随筆春秋賞[22]・奨励賞[79][80]
  • 2018年「二クロム線」第24回 随筆春秋賞[22]・奨励賞[79][80]
  • 2017年「父、東京へ  苦学の思い出」第23回 随筆春秋賞[22]・奨励賞[79][80]

小説

「文芸思潮」銀華文学賞

  • 2025年『ずっと小説家になりたかった僕が語る、奈津子の死』で第18回 文芸思潮 銀華文学賞・入選[81][注釈 27]

受賞者紹介ページと作品評

  • 第20回 文芸思潮エッセイ賞 優秀賞の受賞に際し、文芸思潮 第97号(2025年9月)[82]には、受賞作「父とすいとん」とともに作者紹介ページ[79]が設けられている。
  • 第18回 文芸思潮エッセイ賞 奨励賞の受賞に際し、文芸思潮 第91号(2023年3月)[83]には、受賞作「絶望から希望へ」の末尾に顔写真と略歴[80]が掲載された。

これらに加え、同誌では受賞作品に対して、選考委員による次のような「選評」が公開された。

「父とすいとん」の作者は珍しい題材を父親の好きだったすいとんを通して見事に造形した。すいとんを自身の手でこだわり作って味わうその嗜好のなかに、太平洋戦争空襲下の学生時代の父親の苦学の思い出が滲んでいると同時に、親切に世話をしてくれたアパートの大家の娘への愛惜が潜んでいる。

そしてそれと同時に、その親切で純朴な年上の女性が太宰治に愛を寄せ心中した事実が描かれて、驚嘆の展開を見せる。私は有名な人物、有名な事件に依存する手法を好まないが、これは山崎富栄という女性の別な日常的側面を筆者の父親の恋心のなかに捉えることによって、すいとんにこだわる父親との繋がりのうちにその存在を鮮やかにしている。危うい側面を持ちながらもしっかり描出して、技量を上げたことが確認された。

―五十嵐勉(「文芸思潮」97号[82]、106頁)

惜しくも優秀賞となったが、「眉村ゼミの事」と「父とすいとん」の二作にも高得点を入れた。「眉村ゼミ」はSF作家の眉村卓の追悼文であり、青春群像劇にもなっていて、読み物としても高水準だった。また、商業作家は時代に消費され、死後、忘却され易い。著名な人物であっても風化を食い止めるためには、指導者としての横顔があったことを誰かが書きとめておくべきだろう。

「父とすいとん」は推理小説めいた構成のエッセイだ。市井の人のように語られていた人物が、実は純文学界隈では名の知れた「有名人」だと分かる。世には出ていない記録だろうから、今後、作家研究における貴重な史料にもなりうるだろう。しかし、上記二作品は「著名人の知名度」に頼る側面があり、そこに足を引っ張られた。

―都築隆広(「文芸思潮」97号[82]、115–116頁)

また、都築隆広[84]は、エッセイという文芸ジャンルの今後の行く末について、同じ選評の中で、自らの考えを述べている。以下にその部分を抜粋した。

さて、「枕草子」や「徒然草」のような古典随筆が存在し続けていたとはいえ、かつては「軽い読み物」としての印象しかなかった文芸ジャンル、エッセイ。しかし、この賞と共に広く成長し、深く成熟している。落選も当選も、投稿者には悲喜交交あったろうが、何百、何千という応募作は、一作たりとも無駄にはなっていないだろう。

何を書いてもいい、浅くても深くてもいい、だけど生半可な散文の位置にいつまでも甘んじてはいない。エッセイという濁流は荒れ狂い、大河となってどこまで流れてゆくか。これからも一観測者として、先の先まで見届けてゆきたい。

―都築隆広(「文芸思潮」97号、116頁)

掲載作品(エッセイ)

随筆春秋

  • 「点と線のご縁―佐藤愛子先生の訃報に接して―」第66号、2026年9月[85]
  • 「常木」第65号、2026年3月[86]
  • 「歴史の縁をつなぐ―都立富士高校と札幌農学校、そして僕―」第64号、2025年9月[87]
  • 「古戦場に建つ我家」第63号、2025年3月[88]
  • 「父にとっての山崎富栄さん」第62号、2024年9月[89]
  • 「津軽海峡波高し」第60号、2023年9月[90]
  • 「ずっと小説家になりたいと思ってきた」第59号、2023年3月[91]
  • 「父、東京へ―苦学の思い出―」第58号、2022年9月[92]
  • 「ラストスパート」第57号、2022年3月[93]
  • 「札幌のホテルと受験時代」第56号、2021年9月[94]
  • 「夢、追いかけて」第55号、2021年3月[95]
  • 「随想・兵どもが夢の跡」第54号、2020年9月[96]
  • 「犬走りを行く」第53号、2020年3月[97]
  • 「名古屋の母」第52号、2019年9月[98]
  • 「ニクロム線」第51号、2019年3月[99]
  • 「春分の日―寒さの中で思い出すこと―」第50号、2018年9月[100]
  • 「仕事をさせていただきます」第49号、2018年3月[101]

文芸思潮

  • 「父とすいとん」第97号、2025年9月[82]
  • 「絶望から希望へ」第91号、2023年3月[83]
  • 「ステンレス鋼」第75号、2020年3月[102]

[注釈 27]

著書

単著

自分史

  • 『私の作品集2016』電子出版、2016年12月[41]
  • 『短文で綴る自分史』電子出版、2016年12月[42]
  • 『編集後記・私の発達障害』電子出版、2016年12月[43]
  • 『耕福塾の思い出:標高700mの農園』電子出版、2016年12月[36]
  • 『父のエピソード:もうひとつの昭和史』電子出版、2016年12月[103]
  • 『アスペルガー症候群:居酒屋で会社の同僚と』電子出版、2016年12月[104]
  • 『第2回カワイ楽器音楽コンクール全国大会:自信を持った唯一の瞬間』電子出版、2016年12月[27]
  • 『私の作品集2017:初夏版』電子出版、2017年6月[105]

共著・協働

共著者の白佐俊憲は、北海道出身の教育学者、心理学者。北海道大学教育学部を卒業後、児童相談所で相談員、判定員、児童福祉司として勤務した。その後、大学教員となり、北海道女子短期大学およびその発展の四年制大学、大学院で教授、副学長を歴任。専門書のほか、学生、一般向けの学習支援実用書を手がけている[106][107][108][109][110]。また、『ワープロ用語・技法辞典』を編集出版[111][112]。

白佐の著作の一部では正倉が監修として関わっている[113][114]。

ミツバチと蜂蜜の真情報シリーズ他

  • 『都市養蜂の深堀り話―ミツバチと蜂蜜の真情報シリーズ―』随筆春秋ポータル刊、2025年12月[115][116]
  • 『日本の養蜂歴史概要―ミツバチと蜂蜜の真情報シリーズ―』随筆春秋ポータル刊、2025年11月[117][118]
  • 『世界の養蜂よもやま話―ミツバチと蜂蜜の真情報シリーズ―』随筆春秋ポータル刊、2025年6月[119][120]
  • 『蜂蜜関連よもやま話―ミツバチと蜂蜜の真情報シリーズ―』随筆春秋ポータル刊、2025年4月[121][122]
  • 『蜂蜜は生涯健康常備薬―ミツバチと蜂蜜の真情報シリーズ―』随筆春秋ポータル刊、2025年3月[123][124]
  • 『蜂蜜愛食者の基礎知識―ミツバチと蜂蜜の真情報シリーズ―』随筆春秋ポータル刊、2025年2月[125][126]
  • 『どうなる「第3のみつ」―蜂蜜と呼べない蜂蜜の前途―』随筆春秋ポータル刊、2024年8月[127][128]

遠友夜学校の歴史

野澤和之[注釈 28]の映画『新渡戸の夢~学ぶことは生きる証~』[129]の制作では、遠友夜学校の理念を継承する関係者が協働し、その流れから、白佐俊憲(元大学教授、副学長)[注釈 29]と正倉が以下の書籍を共同で出版している[130]。

映画では、工藤慶一(札幌市の夜間中学の発起人)と藤田正一(平成遠友夜学校校長、北海道大学の元副学長)が、遠友夜学校の精神を現代に受け継ぐ人物として登場している。なお、並木秀夫[131](元製薬会社、幹部)が本作でゼネラル・プロデューサーを務めている。並木は、社会問題を扱う野澤の過去2作品とも関わっている[46][132]。

  • 『百余年前論文の真相を追う―奇形児遠友夜学校の謎―』随筆春秋ポータル刊、2025年1月[133][134]
  • 『遠友夜学校の遺産はどう伝承されたか―新渡戸稲造の夢を未来へつなぐ年譜―増改版』随筆春秋ポータル刊、2023年10月[135][136]
  • 『遠友夜学校の遺産はどう伝承されたか―新渡戸稲造の夢を未来へつなぐ年譜―初版』随筆春秋ポータル刊、2023年5月[137][138]

私小説

  • 『じゃあまたね―置かれた場所で咲いて逝った姉との晩年の交流―』随筆春秋ポータル刊、2024年10月[139][140]

[注釈 30]

脚注

注釈

  1. ↑ 1995年から随筆春秋の指導者を務めている。随筆春秋の30年 - 随筆春秋ポータル(公式)を参照のこと。
  2. ↑ 佐藤愛子の直弟子である。ふたりの関係性については、エッセイスト近藤健公式HP - 随筆春秋ポータル(公式)を参照のこと。
  3. ↑ 1952年(昭和27年)、日本電信電話公社の職域病院として開設。
  4. ↑ 当時の日本電信電話公社(略称:電々公社)の職員は、国家公務員法上の公務員ではないが、刑法その他の罰則の適用については公務に従事する職員とみなされる「準公務員(公務員擬律)」の立場にあった。
  5. ↑ 当該人物の叙勲(瑞宝双光章)は 、平成25年6月1日付官報号外に掲載されており、賞状には当時の内閣総理大臣であった安倍晋三の署名が明記されている。また、叙位(従六位)は、令和3年4月11日付官報本紙に掲載され、辞令には当時の内閣総理大臣であった菅義偉の署名が明記されている。いずれも官報を参照することで当該人物の氏名を確認することができる。
  6. ↑ 叙位とは、国家が個人に位階を授ける行為であり、追贈の場合(記事人物の父親の場合も生前の叙勲につづく追贈という形になる)、その効力発生日は原則として命日とされる。そのため、叙位日と逝去日は通常一致する。
  7. ↑ 日本金属工業は、かつて「ステンレス専業3社」の一つに数えられた。同社は後に日新製鋼へ統合され、さらに日新製鋼は新日本製鐵と住友金属工業の経営統合によって発足した新日鐵住金(現・日本製鉄)に吸収された。なお、同じく専業3社の一つであった日本ステンレスは住友金属工業に吸収され、もう一社の日本冶金工業のみが2026年現在も独立企業として存続している。
  8. ↑ この場合の親族とは血族・姻族5親等以内を指す。血族4親等が「いとこ」、血族5親等は「いとこの子」、姻族4親等が「いとこの配偶者」。「いとこの子」の場合、呼称は「いとこ甥、いとこ姪」。
  9. 1 2 「掬う」とは「オタマで(味噌汁の豆腐などを)すくう」の「すくう」である。この場合、「拾われる」や「救われる」といった複数の意味を重ねた当て字である。佐藤愛子の作品中でもたびたび見られる用法である。演繹すると、人は他者に“掬われる(取り立てられる、登用される)”ことはあっても、最終的に自分を救うのは自分である、という含意を帯びる場合もある。
  10. ↑ 音楽家レオニード・クロイツァーの妻であり、2人は結婚前は師弟関係にあった。親子ほどの年齢差の夫婦で、クロイツァーと豊子は、現在もピアノ教育の権威として広く一般に知られている。なお、フジコ・ヘミングは幼少よりクロイツァーに師事しており、豊子とは同門の関係にあたる。
  11. ↑ 音楽コンクール入賞者 - KAWAI MUSIC COMPETITIONによると、<第5回>では「ピアノ中級部門」から「大賞」(総合1位)が選出されている。大会規定の改訂あるいは解釈の変更などの可能性あり。
  12. ↑ 太平洋戦争下の内閣総理大臣・近衛文麿の実弟であり、日本におけるクラシック音楽の指揮者としてパイオニア的存在であった。
  13. ↑ 当時、NHKでは、特定のピアノ教師による公開レッスンが番組となっていた。番組では、課題曲をマスターするまでの一連の状況を複数回に分けて放映していた。
  14. ↑ 当時は、東京藝術大学ピアノ科の受験に際し、在籍教員(教授・助教授・講師など)のレッスンを受けておくことが有利とみなされる傾向があった。
  15. ↑ 2025年現在も、東京緑化推進委員会により、継続的に行われている[30]。
  16. ↑ 学習院大学理学部物理学科卒業後、セコム、AT&T Jensを経て1997年にNTT移動通信網(現・NTTドコモ)に入社。58年生まれ(出典:主なスピーカーの方々をご登壇順にご紹介 - 一般社団法人日本ベンチャーキャピタル協会)
  17. ↑ 日本金属工業を退職し、SMCに就職するまでの間の期間。
  18. ↑ 正倉は、山中の合宿寮の厨房を任され、朝昼晩3度の食事を準備し、供していた。ある作品には、近くの町への買い出しの様子が描かれている。
  19. ↑ 世界救世教の本部は熱海にあり、教団内の新聞、書籍など多くの印刷物を図書印刷に依頼していた。正倉は、工場内に設置してあるパソコンから紙面に文字を打ち込む作業を主に行っていたという。
  20. ↑ 1990年代前半、日本では医療保険制度の整備や国産メーカーの積極的な開発競争を背景にMRIの設置が急速に進んだ。この時期、液体ヘリウムの供給は冷戦期の米国による戦略物資管理下にありながらも、医療用途については安定した輸入が可能であったため、MRI普及と米国のヘリウム政策との間に直接的な因果関係はなかった。一方、米国が戦略備蓄として保有していたヘリウムを市場に放出する方針を示したのは、冷戦終結後の1996年に制定されたヘリウム民営化法によるもので、日本のMRIの黎明期より数年遅れている。したがって両者は本質的には無関係だが、いずれも1990年代という同じ時代に起きた出来事であるため、「両者の関係は時宜に叶っていた」と新聞などで表現されることがある。直接の因果関係はないものの、そのような時代であったという程の意味である。
  21. ↑ 旧・日本海軍において特定の曜日にカレーを提供する制度は確認されておらず、海上自衛隊の「金曜日のカレー」は週休2日制導入後に、基地・艦内の双方で形成された独自の慣行とされる。週休2日制導入以前には、基地内でも艦内でも土曜日の昼食にカレーが提供されており、これは休日前日の調理場管理を簡便にするためであった。週休2日制の導入に伴い、この土曜カレーが金曜日の昼食へと移行した。「曜日感覚の維持」や「海軍カレーの伝統継承」といった説明は、広く流布した誤解である(出典:高森直史『海軍カレー伝説』潮書房光人新社、2018年5月)。
  22. ↑ 1991年から1993年を一般的に「バブル崩壊期」と呼ぶ。しかし、実生活の中で当時の人々はその実感を持っておらず、1991年にはバブル期の象徴ともされる「ジュリアナ東京(ディスコ)」が港区芝浦に開店する。新聞などでは、バブル崩壊期の後端である1993年を「バブル崩壊の年」とすることが多い。
  23. ↑ アジア文化社有限会社(東京都世田谷区)が発行する文芸誌。また、同誌を中心とした編集組織の名称である。「銀華文学賞」(小説)、「まほろば賞」(全国同人雑誌最優秀賞)、「エッセイ賞」、「現代詩賞」、「新人賞」(小説)、「短歌賞」を主催している。編集長は、群像新人長篇小説賞を受賞後、東南アジアの紛争地帯に長期滞在しジャーナリストとしての経験を積んだ、五十嵐勉。詳細は「文芸思潮トップページ」および「編集長紹介」(文芸思潮WEB内)を参照。
  24. ↑ 同誌編集長の五十嵐勉は山梨県甲府市の出身である。「編集長紹介」(文芸思潮WEB内)。
  25. ↑ 冊子名(『随筆春秋』あるいは「随筆春秋誌」)、同人組織名(同人誌「随筆春秋」)、法人名(一般社団法人随筆春秋)の三者を指す共通の名称。詳細は「随筆春秋とは」(随筆春秋資料室)参照。
  26. ↑ Windows付属のNotepad(メモ帳)やサードパーティ製のMeryなどを用いて文章を作成し保存する、という意味。
  27. 1 2 作品はすべて本名で書かれている。正倉一文は筆名。
  28. ↑ 1954年新潟県出身。立教大学および同大学院卒業。文化人類学専攻。記録・文化映画の助監督を経て、テレビ報道の道を歩み、その後テレビドキュメンタリーの世界へ。フジテレビ(CX)「ザ・ノンフィクション」など。数々の賞を受賞している。社会周縁の人々を見つめた作品が多い。2004年のドキュメンタリー映画「HARUKO(ハルコ)」、2008年のフィリピンオールロケの映画「マリアのへそ」以降、継続的に映画製作に携わっている。
  29. ↑ 北海道女子短期大学およびその発展の四年制大学・大学院。
  30. ↑ 作品はすべて筆名の正倉一文で書かれている。

出典

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  138. ↑ 白佐俊憲、正倉一文『遠友夜学校の遺産はどう伝承されたか―新渡戸稲造の夢を未来へつなぐ年譜― 初版』随筆春秋ポータル刊』随筆春秋ポータル、2023年5月。2026年1月6日閲覧。(書誌情報はresearchmap掲載情報による)
  139. ↑ 白佐俊憲、正倉一文『じゃあまたね―置かれた場所で咲いて逝った姉との晩年の交流―』随筆春秋ポータル、2024年10月。2026年1月3日閲覧。(書誌情報は国立国会図書館サーチで確認)
  140. ↑ 白佐俊憲、正倉一文『じゃあまたね―置かれた場所で咲いて逝った姉との晩年の交流―』随筆春秋ポータル、2024年10月。2026年1月6日閲覧。(書誌情報はresearchmap掲載情報による)

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