正親町三条公雅

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正親町三条公雅
時代 室町時代前期
生誕 至徳元年(1384年)
死没 応永34年8月12日(1427年9月3日)
別名 号:紹宏院
戒名 祐戒
官位 正二位、権大納言、贈内大臣
主君 後小松天皇→称光天皇
氏族 正親町三条家
父母 父:正親町三条実豊、母:不詳
兄弟 公雅、女子
妻 不詳
子 実雅、実済、尹子、豊子、女子、女子
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正親町三条 公雅(おおぎまちさんじょう きんまさ)は、室町時代前期の公卿。権大納言・正親町三条実豊の子。官位は正二位・権大納言、贈内大臣[1]。紹宏院と号す。

経歴

以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

伏見宮家の取次ぎ役

正親町三条家が後光厳院の外戚であったことの関係から、持明院統の本来の嫡流でありながら皇位からはずれていた伏見宮貞成親王の取次ぎ役であったことが知られている[5]。

系譜

脚注

  1. ↑ 急死したため、実雅の時代に内大臣が追贈されたと考えられる。
  2. ↑ 任参議以前の官歴は不明である。
  3. ↑ この時までに大宰権帥を兼ねていたか。
  4. ↑ 頓死の注記あり。
  5. ↑ 横井 清、『室町時代の一皇族の生涯』

参考文献

  • 『公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 『尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 横井 清、『室町時代の一皇族の生涯』、講談社学術文庫