江原利次

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江原 利次
Toshitsugu EHARA
基本情報
名前 江原 利次
生年月日 (1947-07-12) 1947年7月12日(77歳)
国籍 日本の旗 日本
経歴
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江原 利次(えはら としつぐ、1947年7月12日 - )は、日本のプロゴルファー。

来歴

1974年にレフティとしてプロ入りし[1]、1976年のアジアサーキット・香港オープンでは初日に4位グループに着けた[2]。

1976年のシンガポールオープンでは内田袈裟彦が優勝し、野口英雄が6位、新井規矩雄が9位に入り、江原は11位で惜しくも十傑入りは逃した[3] [4]。

1978年の関東オープンでは初日、ラフが深いゆえにグリーンの難しさもあって上原宏一・浅井教司・謝敏男(中華民国の旗 中華民国)・川田時志春・関水利晃・草壁政治・海老原清治・日吉稔・森憲二・高井吉春・石井冨士夫と並んでの10位タイ[5]でスタートしたが、2日目には猛暑とラウンド時間が6時間というスローペースに苦しめられながら69をマークし、日吉と並んでの2位タイに浮上[6]。

1979年の山梨プロアマでは榎本七郎・鷹巣南雄に次ぐ4位[7]、1984年の埼玉オープンでは小川清二・金谷多一郎・美浦修・新井に次ぐと同時に川俣茂・須貝昇と並んでの6位タイ[8]に入り、1985年のマルマン日本海オープン[9]を最後にレギュラーツアーから引退。

脚注

  1. ↑ ジェームス・ブリス、ジョセフ・モレラ、草壁焔太訳『左利きの本――右利き社会への挑戦状』講談社、1980年12月、p187。
  2. ↑ 毎日新聞縮刷版p239 昭和51年4月9日朝刊15面
  3. ↑ 日刊スポーツ1976年3月15日「内田逃げ切り初優勝」
  4. ↑ “【日本男子の海外挑戦記・昭和編㉜】1974年以降、アジア・サーキットは日本選手の修行の場に”. www.jgto.org. 2025年3月10日閲覧。
  5. ↑ 朝日新聞縮刷版p456 昭和53年7月14日朝刊16面「波多野がリード 関東オープンゴルフ」
  6. ↑ 朝日新聞縮刷版p501 昭和53年7月15日朝刊17面「波多野が5打差 関東オープンゴルフ」
  7. ↑ 朝日新聞縮刷版p462 昭和54年4月13日朝刊18面
  8. ↑ 毎日新聞縮刷版p261 昭和59年8月9日朝刊19面
  9. ↑ “江原 利次選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR”. www.jgto.org. 2025年3月10日閲覧。

外部リンク