浅井教司

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浅井 教司
Noriji ASAI
基本情報
名前 浅井 教司
生年月日 (1946-09-17) 1946年9月17日(78歳)
身長 171 cm (5 ft 7 in)
体重 75 kg (165 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県
経歴
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浅井教司(あさい のりじ、1946年9月17日 - )は、千葉県出身[1]のプロゴルファー。

来歴

日本大学卒業後の1974年にプロ入りし[1]、1975年の美津濃プロ新人では田原紘と並んでの2位タイ[2]に入った。

1976年の千葉県オープンでは尾崎将司・長谷川勝治に次ぐと同時に尾崎健夫・海老原清治と並んでの3位タイ[3]、1977年の長野県オープンではベン・アルダ(フィリピンの旗 フィリピン)、土山録志・新井規矩雄・菊地勝司・榎本七郎を抑えて森憲二の2位[4]に入った。

1978年の関東オープンでは初日に上原宏一・謝敏男(中華民国の旗 中華民国)・川田時志春・関水利晃・草壁政治・海老原清治・日吉稔・森憲二・高井吉春・石井冨士夫と並んでの10位タイ[5]でスタートし、2日目には謝永郁(中華民国)・上原と並んでの7位タイ[6]、3日目には日吉定雄・謝永・日吉と並んでの3位タイ[7]に浮上した。

1979年のKBCオーガスタでは初日に前田新作・陳志明(中華民国)と共に68をマークし、首位タイの石井裕士・草壁政治・郭吉雄(中華民国)を1打差で追う4位タイ[8]でスタートした。

1981年の千葉県オープンでは白石勝昭・尾崎直道に次ぐ3位[9] [10]、1985年の栃木県オープンでは高橋五月・渡辺司と並んでの4位タイ[11]に入った。

1984年には菊地とペアを組んだアコムダブルスで初日を森下正美&古木譲二ペア・新関善美&藤木三郎ペア・高橋&横島由一ペアと並んでの4位タイ[12]でスタートし、3日目には新関&藤木と共に飯合肇&小川清二ペア・松本紀彦&小林恵一ペアと並んでの4位タイ[13]に着けた。

1987年の日本プロを最後にレギュラーツアー[14]、2002年の日本シニアオープン[1]を最後にシニアツアーから引退。

藤岡温泉カントリークラブ所属[15]を経て、現在はフリーで、シェイクスピアカントリークラブ代表[16]。

脚注

  1. 1 2 3 浅井 教司 - PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会
  2. ↑ 朝日新聞縮刷版p937 昭和50年5月31日朝刊15面「男子は久保が優勝 美津濃プロ新人ゴルフ」
  3. ↑ 朝日新聞縮刷版p342 昭和51年8月13日朝刊14面
  4. ↑ 朝日新聞縮刷版p262 昭和52年7月8日朝刊16面「森、逃げきり優勝 長野県オープンゴルフ」
  5. ↑ 朝日新聞縮刷版p456 昭和53年7月14日朝刊16面「波多野がリード 関東オープンゴルフ」
  6. ↑ 朝日新聞縮刷版p501 昭和53年7月15日朝刊17面「波多野が5打差 関東オープンゴルフ」
  7. ↑ 朝日新聞縮刷版p538 昭和53年7月16日朝刊18面「謝敏、波多野と並ぶ 関東オープンゴルフ」
  8. ↑ 朝日新聞縮刷版p778 昭和54年8月24日朝刊16面「草壁ら三人リード 青木62位 注目のゼラーは39位」
  9. ↑ 朝日新聞縮刷版p435 昭和56年7月11日朝刊17面
  10. ↑ 毎日新聞縮刷版p365 昭和56年7月11日朝刊19面
  11. ↑ 毎日新聞縮刷版p582 昭和60年7月18日朝刊14面
  12. ↑ 毎日新聞縮刷版p527 昭和59年8月17日朝刊17面「湯原組などが首位 アコムダブルスゴルフ」
  13. ↑ 毎日新聞縮刷版p584 昭和59年8月19日朝刊14面「島田、磯崎組リード アコムダブルスゴルフ」
  14. ↑ 浅井 教司選手 ツアー通算データ - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
  15. ↑ 浅井 教司選手のプロフィール - JGA
  16. ↑ シェイクスピアカントリークラブ ゴルフ会員権ガイド-ゴルフホットライン

外部リンク