汾陽侯

ウィキペディアから、無料の百科事典

汾陽侯(ふんようこう)は、古代中国の前漢時代、紀元前196年から紀元前140年までと、紀元前62年以降いくらかの期間あった列侯の一つである。靳彊とその子孫が封じられた。封地の汾陽県は太原郡(現在の山西省)にあったが、侯の封地は国というので、汾陽侯がいたときには汾陽国といった。

歴史

秦末の反乱から高祖劉邦に従って戦った靳彊が、高祖11年(紀元前196年)2月辛亥(『漢書』によれば3月辛亥)に汾陽侯に封じられたのが始まりである[1][2]。諸侯の中で位次は96位であった[2] 。子の靳解、孫の靳胡が継承したが、靳胡の死で絶えた[1][2]。

武帝の時代に靳彊の曽孫の靳石が江都侯になったが、数年で免職になり侯の地位を失った[1][2]。

宣帝の詔で、元康4年(紀元前62年)に靳彊の玄孫の靳忠が封じられた[1]。その後は不明である。

汾陽侯の人物

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 『漢書』巻16、高祖高后文功臣年表第4、汾陽嚴侯靳彊。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 『史記』巻18、高祖功臣者年表第6、汾陽。

参考文献

外部リンク