深田太郎
来歴
1965年、阿久悠の長男として神奈川県に生まれる。明治大学文学部卒業。
1992年にロックバンド ″GENDA×BENDA″(ジェンダ・ベンダ)のメンバーとしてデビューする。初めは親の七光りと見られることに抵抗があった深田だったが、中々メジャー・デビュー出来ない状況を見かねた知り合いの一人から「お父さんに詞を書いてもらったら」とアドバイスされ、最終的に忠告を受け入れることとなった。当バンドのデビューアルバムで作詞を担当した″多夢星人″とは阿久の変名である[1]。GENDA×BENDA解散後は、作曲家として荻野目洋子、本田美奈子.、椎名へきる、田村芽実らに楽曲を提供している[2]。
エピソード
父の没後、7年経って深田は漸く日記を読むことが出来るようになったが、そこには自分やバンドに対する厳しい言葉などはなく、「太郎と日本の新しいロックを作っていきたい」と、息子と一緒に新たな活動を望んでいたことを示す内容が綴られていたという。深田はそんな父の思いを四十歳を過ぎてから知ることとなり、胸が痛かったと振り返っている[3]。
現在は、″株式会社阿久悠″ の代表として父の業績を伝える活動に取り組んでいる[4]。
2019年には、阿久の素顔に迫る深田の著作〈「歌だけが残る」と、あなたは言った -わが父、阿久悠〉が出版された[5]。
主な提供楽曲
作曲
脚注
出典
- ↑ “阿久悠の息子は作曲家!家族と結婚まとめ。天才と呼ばれる理由&資産は莫大?”. アスネタ. 芸能ニュースメディア. 2025年2月23日閲覧。
- ↑ “『株式会社阿久悠』の取締役で作曲家の深田太郎さんが登場!”. くにまるジャパン 極. 文化放送. 2025年2月8日閲覧。
- ↑ “【没後10年 阿久悠】ひとり息子が初めて明かす父の秘話 ショックだった「日記」の中身”. zakzak. 夕刊フジ公式サイト. 2025年2月8日閲覧。
- ↑ “公私ともに寄り添った、生涯の相棒サインペン 作詞家 阿久悠”. Pentel Signpen. ぺんてる株式会社. 2025年2月8日閲覧。
- ↑ “「歌だけが残る」と、あなたは言った:深田 太郎”. 河出書房新社. 2025年2月8日閲覧。