濃飛護國神社

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濃飛護國神社

拝殿(2008年5月)
所在地 岐阜県大垣市郭町二丁目55番地
位置 北緯35度21分40.27秒 東経136度36分57.44秒 / 北緯35.3611861度 東経136.6159556度 / 35.3611861; 136.6159556座標: 北緯35度21分40.27秒 東経136度36分57.44秒 / 北緯35.3611861度 東経136.6159556度 / 35.3611861; 136.6159556
主祭神 岐阜県出身の英霊1万8900余柱
社格等 旧内務大臣指定護国神社
創建 1869年(明治2年)
本殿の様式 流造[1]
例祭 4月23日・9月22日
地図
濃飛護國神社の位置(岐阜県内)
濃飛護國神社
濃飛
護國神社
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濃飛護國神社(のうひごこくじんじゃ)は、岐阜県大垣市にある神社(護国神社)である。

大垣城址(大垣公園)に鎮座する。岐阜県(主として西濃・飛騨地方)出身の英霊1万8900余柱を祀る[注釈 1][注釈 2]。

歴史

1869年(明治2年)8月1日[3]、旧大垣藩主・戸田氏共が戊辰戦争に参加した大垣藩士の戦死者54名を祀るため、大垣城下の操練場に仮招魂祠を創建したのに始まる。翌1870年(明治3年)8月、大垣城二の丸を招魂場と定めて祠宇を創建し、祭式を執り行った。1875年(明治8年)9月、国庫から毎年神饌、祭祀料、営繕費が支給されることになり、官祭招魂社(大垣招魂社)と改称した。1879年(明治12年)3月21日には西南戦争に従軍し戦死した大垣在籍の士族ら12名を合祀した[3]。

1891年(明治24年)の濃尾地震で社殿が倒壊したため、有志の寄付金のほか内務省から改築補助金として金500円が交付され、1895年(明治28年)10月に再築落成式祭が行われた[4]。

1897年(明治30年)及び1900年(明治33年)に岐阜県出身の軍人で日清戦争に従軍して戦病死した253名を合祀し[注釈 3]、1904年(明治37年)と1905年(明治38年)9月24日に日露戦争に従軍して戦病死を遂げた岐阜県出身者2,552名が合祀されると[3]、社殿拡張と改築の機運が高まり、岐阜県下の在郷軍人が中心となって招魂社改築期成同盟会を組織して寄付金を募集した。1906年(明治39年)に工事着手、1909年(明治42年)に竣工した[注釈 4]。

1939年(昭和14年)3月27日に官祭「濃飛招魂社」に改称し、次いで「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年3月15日内務省令第12號)[5]とそれに伴う同年4月1日の官報告示「護國神社指定」(昭和14年4月1日内務省告示第142號[6])を以って内務省指定の「濃飛護國神社」と改称した。その後、社殿の改築御造営と神域拡張のために御造営奉賛会を設立し、会長に岐阜県知事、副会長に岐阜県学務部長、大垣市長、高山市長、岐阜県町村長会副会長が就任し、崇敬区域(西濃1市5郡及び飛騨1市3郡)内の各町村長、帝国在郷軍人分会長等を役員に嘱託した。内務省神社局技師・角南隆の設計に基づいて造営工事中の1945年(昭和20年)7月29日、大垣空襲で本殿、拝殿、社務所を全焼したため、直ちに仮宮を設けた[7]。第二次世界大戦後に社号を濃飛神社と改称したが[8][7]、主権回復後に旧称に復した[7]。

1952年(昭和27年)4月28日に日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効して主権が回復すると、1953年(昭和28年)7月8日に御造営奉讃会設立準備委員会(会長:大垣市長)を結成、同年8月12日に西濃遺族会連合会と提携した造営奉讃会[注釈 5]、同年12月6日に崇敬者や各種団体が加わる敷地選定促進委員会が相次いで結成され[9]、1956年(昭和31年)4月に起工、1958年(昭和33年)4月21日に本殿が竣工、翌1959年(昭和34年)4月23日に幣殿、拝殿、社務所が竣工し、竣工遷座祭並びに奉祝祭が執行された[10]。1965年(昭和40年)には西濃運輸(現・セイノーホールディングス)創業者・田口利八が大鳥居を奉納した。同年10月26日に昭和天皇と香淳皇后が第20回国民体育大会(岐阜国体)行啓の折に参拝している[11][12]。

祭事

近隣施設

脚注

注釈

  1. ↑ 境内の「忠魂顕彰之碑」裏面碑文(岐阜県知事上松陽助謹書)には「西濃一市五郡から国民の犠牲となられた戦没者諸士18914柱英霊」と記されている。
  2. ↑ 『偕行』平成19年8月号では「明治2年から昭和14年迄の岐阜県出身の神霊及び昭和15年以降の西濃(1市4郡)出身の神霊18,917柱」(引用に際して漢数字をアラビア数字に変更)とする[2]。
  3. ↑ 『新修大垣市史』通史編1では、1895年(明治28年)10月22日に18柱、1900年(明治33年)11月18日に235柱をそれぞれ合祀したとする[3]。
  4. ↑ 1895年竣工の旧社殿は稲葉郡厚見村(現・岐阜市西川手)の神明神社に移築されている。
  5. ↑ 岐阜県神社庁の濃飛護国神社の由緒由来によれば「昭和30年9月29日御造営奉讃会を設立」としている。

出典

  1. ↑ 神社本庁調査部 編『神社名鑑』神社本庁神社名鑑刊行会、1963年4月、362頁。doi:10.11501/2997363。
  2. ↑ 「濃飛護國神社」『偕行』第680号、財団法人偕行社、2007年8月1日、29頁、doi:10.11501/11435762。
  3. 1 2 3 4 「附 市内各町村誌」『新修大垣市史』通史編1、大垣市、1968年4月1日、11-12頁、doi:10.11501/3015372。
  4. ↑ 「招魂社再築落成式祭他案内状」『堀一郎家文書目録』、岐阜県歴史資料館
  5. ↑ 「招魂社ヲ護國神社ト改稱(昭和14年3月14日内務省令第12號)」『官報』第3656號、1939年3月15日、510頁、doi:10.11501/2960149。
  6. ↑ 「護國神社指定(昭和14年内務省告示第142號)」『官報』第3670號、1939年4月1日、46頁、doi:10.11501/2960164。
  7. 1 2 3 靖國神社百年史 1984, p. 439.
  8. ↑ 全國護國神社會二十五年史 1972, p. 35.
  9. ↑ 「護國神社問題」『岐阜年鑑』1955年版、岐阜タイムス社、1954年10月1日、95頁、doi:10.11501/2935412。
  10. ↑ 全國護國神社會二十五年史 1972, p. 221.
  11. ↑ 全國護國神社會二十五年史 1972, p. 222.
  12. ↑ 「新修大垣市史」通史編2、大垣市、1968年4月1日、doi:10.11501/3016869。

参考文献

関連項目