照喜名聞覚

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照喜名 聞覚(てるきな もんがく、尚貞王14年11月30日(1682年12月28日) - 尚穆王2年12月30日(1754年1月23日))は、琉球王国の三線奏者。盲目であったと伝えられる。湛水親方の流れをくむ新里朝住(しんざと ちょうじゅう)に三線を学び、聞覚流を開く。弟子に屋嘉比朝寄がいる。その「屋嘉比工工四(くんくんしー)」は聞覚の楽譜を基礎にしている[1][2]。

脚注

  1. ↑ デジタル版 日本人名大辞典+Plus照喜名聞覚
  2. ↑ 新城俊昭『教養講座 琉球・沖縄史』編集工房東洋企画