猿岡山城

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猿岡山城
(和歌山県)
別名 猿岡城、猿ヶ岡城
城郭構造 山城
築城年 1573年
主な改修者 藤堂高虎
主な城主 藤堂高虎
廃城年 1596年
遺構 曲輪
指定文化財 なし
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猿岡山城(さるおかやまじょう)は、紀伊国(現・和歌山県紀の川市粉河)にあった日本の城。別名、粉河城。

概要

1573年(天正元年)、根来寺と並んで紀ノ川流域に勢力があった粉河寺が寺の防衛のために境内南側の猿岡山(現・秋葉山)に築城。

1585年(天正13年)の紀州征伐の後、紀伊国粉河に封じられた藤堂高虎が粉河寺を牽制するために入城し、改築した。

山城で南側に流れる中津川を堀として代用した城で、高虎が伊予国宇和島に移封された後、廃城となる。隣接する粉河寺を一望できる。

現在は秋葉公園として整備され、曲輪のみが残されている。公園内に城跡を示す石碑と説明文がある。




現地案内板の記述

猿岡城山上にある案内板

現地の案内板によると、城跡のある山は粉河寺本堂の南側に位置するため「前山」と呼ばれ、山上に猿棚(物見台)が設けられていたことから「猿岡山」とも称されたという。天正元年(1573年)には粉河寺の僧兵が寺の防衛のために山城を築き、切り通し堀などを設けたとされる。

同案内板では、天正13年(1585年)3月24日に粉河寺が焼亡し、同年8月に紀州・四国平定の功によって粉河近辺1万石を与えられた藤堂高虎が入城したと記されている。高虎は文禄元年(1592年)の朝鮮出兵まで在城し、その間、粉河寺の再建や神輿の寄進、粉河祭の再興に努め、自ら随兵役も務めたという。

また、明和元年(1764年)に粉河の鋳物師らが火伏せの神である秋葉三尺大権現を勧請したことから、以後「秋葉山」と呼ばれるようになったとされる。[1]

脚注

  1. ↑ “猿岡城址”. ぐるりん関西. 2026年10月17日閲覧。(現地案内板の写真および翻刻)

関連項目