田向長資

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田向長資
時代 室町時代中期
生誕 明徳年間か
死没 不明
官位 従二位、権中納言
主君 伏見宮貞成親王
氏族 宇多源氏雅信流庭田家庶流田向家
父母 父:田向経兼、母:庭田経有女・芝殿
兄弟 長資、世尊寺行豊、隆経、周具、瑛蔵主、聖賢、観音寺住持、東竹等清、あや、一条局(近衛局)
子 経秀(経家)、中宮寺喝食、隆尊、心承、喝食某、俊存、室町殿女中、某女、某女
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田向 長資(たむけ ながすけ)は、室町時代中期の公家。参議・田向経兼の子[1]。

概要

伏見宮家の女児の深曾木・髪置の役は長資が務めるのが佳例とされ、智久・めここ・理延・ちよちよ・雲岳聖朝のほか、後花園天皇の皇女・観心の際も髪置の役を務めた。また、伏見宮貞成親王の第四王女を養君としていたが、永享2年(1430年)8月10日に夭逝する。また、同年に父・田向経兼が将軍・足利義教の勘気に触れて失脚すると、長資も姉妹の近衛局(一条局)とともに祗候を留められた。永享5年(1433年)従三位に叙せられ公卿に列す。永享8年(1436年)4月に山城国大野荘を没収された経兼が出家した後も長資は伏見に住し、永享9年(1437年)12月には山城国大野荘を返付されている。

嘉吉元年(1441年)の義教の没後は再び貞成親王に近仕する。またこの頃より、嘉吉2年(1442年)正三位、嘉吉3年(1443年)参議、文安3年(1446年)権中納言と昇進し、文安4年(1447年)従二位に至った。

康正2年(1456年)9月の貞成親王薨去に伴い長資も出家したが、その後の動向は不明[2]。

官歴

注記のないものは『公卿補任』による。

系譜

  • 父:田向経兼
  • 母:芝殿 - 庭田経有の娘
  • 正室:田向女性(出自不詳)
    • 女子:中宮寺喝食(1416-?)
    • 男子:隆尊(幼名満里丸)(1418-1584)
    • 男子:心承(1421-?)
    • 女子:(1433-?)
  • 生母不詳の子女
    • 嫡男:田向経家(幼名阿古丸)(1414-1461)
    • 女子:室町殿女中
    • 女子:あかこ(1425-?) - 伏見宮家女房か
    • 男子:喝食
    • 男子:俊存

脚注

注釈

出典

  1. ↑ 植田真平、大澤泉「伏見宮貞成親王の周辺ー『看聞日記』人名比定の再検討ー」
  2. ↑ 植田真平、大澤泉「伏見宮貞成親王の周辺ー『看聞日記』人名比定の再検討ー」
  3. 1 2 『諸家伝』

参考文献

  • 正宗敦夫編『諸家伝』日本古典全集刊行会、1940年