白鳥義久

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白鳥義久(しらとり/しろとり よしひさ、生年不詳 - 天文15年12月20日(1547年1月11日)[1])は戦国時代の出羽国の武将。出羽白鳥館主。白鳥義春の跡を継いだが、実は室町幕府第12代将軍足利義晴の庶子とする説もある[1]。通称は十郎[1]。息子には白鳥長久がいたと言われる。

白鳥氏当主として最上氏、延沢氏、天童氏などと覇を争った。天文15年12月20日(1547年1月11日)死去。法号は泰運永岩大禅定門[1]。

義晴の子とする説があるが、年齢や没年などから少し考えにくい。

脚注

  1. 1 2 3 4 『山形県地理名勝史蹟集成 北村山郡之巻』(1926年)143頁