相川久太郎

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相川久太郎

相川 久太郎(あいかわ きゅうたろう、元治元年8月15日[1](1864年9月15日) - 大正15年(1926年)2月21日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。

経歴

加賀国江沼郡東谷口村(現在の石川県加賀市)に山口庄助の二男として生まれ、相川家の養子となった[3][4]。東京で法律学を学び、弁護士試験に合格[4]。法律事務所を開業した。また、石川県会議員に選出された[3]。

1890年(明治23年)第1回衆議院議員総選挙に出馬し当選。第11回衆議院議員総選挙で再選された。

その他、石動電気株式会社取締役、能登電気株式会社監査役、飛越電気株式会社監査役を務めた[4]。

出典

参考文献

  • 『摂政宮殿下御統監北陸大演習行啓記念史』東京毎日新聞社、1925年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。