石川喜平

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石川 喜平(いしかわ きへい、1788年(天明8年)[1][2] - 1862年(文久2年)[1][2])は、日本の和算家。都筑弥厚の明治用水計画を測量・設計の面で支援した人物として知られる[1][2]。

1788年(天明8年)高棚村(現・愛知県安城市)に生まれる[1]。1807年(文化4年)、関孝和の直流にあたる和算家清水幸三郎の弟子となり、1812年(文化9年)に師範免許を授かる[1]。

都筑弥厚の明治用水計画に賛同して、1822年(文政5年)から明治用水に関わる測量を開始し、農民の反対運動をかいくぐりながら、1826年(文政9年)に測量を完了する[1][3]。この測量成果をもとに、岡本兵松と伊与田与八郎によって、1880年(明治18年)に明治用水が開通した[1][3]。1862年(文久2年)に死去[1]。

天文学にも通じており、石川喜平直頼(または改)と記した書物も残した[1]。

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 鈴木信義「明治用水における石川喜平の業績」『農業土木学会誌』第48巻第11号、農業農村工学会、1980年、858-861頁、doi:10.11408/jjsidre1965.48.11_858。
  2. 1 2 3 “明治用水の土地測量に尽力 石川喜平の変わり絵馬寄贈:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2024年11月25日閲覧。
  3. 1 2 “石川喜平測量具 附和算免許状・和算資料 |安城市文化財図録Web版”. www.katch.ne.jp. 安城市埋蔵文化財センター. 2024年11月25日閲覧。