石川忠治

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石川 忠治
生誕 1872年7月7日
日本の旗 日本 山形県
死没 没年不明
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1894年 - 1923年
最終階級 陸軍少将
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石川 忠治(いしかわ ただはる、1872年7月7日〈明治5年6月2日〉[1] - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級、功三級[2]。

経歴

山形県出身[1][2]。1894年(明治27年)陸軍士官学校第5期卒業[1][2]。

1916年(大正5年)8月に大津連隊区司令官、1917年(大正6年)8月に陸軍歩兵大佐を経て、1918年(大正7年)6月に歩兵第42連隊長(第5師団、歩兵第21旅団)に任官[1][2]。シベリア出兵に従軍した[1]。

その後、1922年(大正11年)8月に陸軍少将に昇進と同時に待命、1923年(大正12年)3月に予備役に編入した[1][2]。

退役後は山形信用組合長を務めるが[3]、偽造有価証券行使、横領により懲役2年、執行猶予4年の判決を受けた[4]。これにより従四位返上を命じられ[5]、勲三等、功三級及び明治二十七八年従軍記、明治三十七八年従軍記章、大正三年乃至九年戦役従軍記章戦捷記章、大礼記念章(大正/昭和)を褫奪された[6]。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]。

栄典

著作

  • 石川忠治ほか『歩兵第二聯隊戦史 : 明治三十七、八戦役』歩兵第二聯隊、1907年。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 『日本陸軍将官辞典』63頁。
  2. 1 2 3 4 5 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』118頁。
  3. ↑ 『山形県警察史年表』138頁。
  4. ↑ 『官報』第2903号「彙報」昭和11年9月3日。
  5. ↑ 官報 1940年5月03日 一四三頁
  6. ↑ 官報 1940年5月2日 九〇頁
  7. ↑ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」37頁。
  8. ↑ 『官報』第3401号「叙任及辞令」1894年10月27日。
  9. ↑ 『官報』第1292号「叙任及辞令」1916年11月21日。
  10. ↑ 『官報』第2809号「叙任及辞令」1921年12月12日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 山形県警察史編さん委員会編集『山形県警察史年表』山形県警察本部、1973年。