石川知綱

ウィキペディアから、無料の百科事典

石川 知綱(いしかわ ともつな、生年不詳 - 永禄6年(1563年))は、戦国時代の武将。通称十郎左衛門。

略歴

三河国幡豆郡浅井の住人 [1]。永禄3年(1560年)の大高城兵糧入れに同行した [2]。

永禄6年(1563年)三河一向一揆では一揆側に加担した。甥(娘婿とも)の内藤正成に両膝を射抜かれ、落馬し命を落としたと言う [3]。

参考文献

  • 『改正三河後風土記上巻』(金松堂、1886年、327p)
  • 『通俗日本全史第9巻』(早稲田大学編輯部 、1912年、122p)
  • 『参河志上巻』(参河志再版刊行会 、1933年、391p)

脚注