神鞭常孝

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神鞭常孝

神鞭 常孝(こうむち つねたか、1883年(明治16年)2月24日[1] – 1956年(昭和31年)6月27日[2])は、日本の大蔵官僚。南満州鉄道理事、北支那開発副総裁。

経歴

京都府出身[3]。衆議院議員・法制局長官神鞭知常の長男として生まれる[1]。第四高等学校を経て、1907年(明治40年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した[1]。大蔵省に入って、ロンドン駐在財務官附となり、1911年(明治44年)に帰国[1]。税関事務官として横浜税関に勤務し、大蔵省関税課長、横浜税関長を歴任した[1][4]。

1927年(昭和2年)、南満州鉄道株式会社の理事に就任し、経理部長・販売部長・用度部長を務めた[1]。さらに昭和製鋼所常務取締役となり、1938年(昭和13年)からは北支那開発株式会社の副総裁を務めた[4]。

戦後、公職追放となった[3]。

栄典

家族

  • 父・神鞭知常
  • 妻・富子 ‐ 宮中顧問官・市来政方の二女[6]

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 大衆人事録 1930.
  2. ↑ 『昭和物故人名録』 日外アソシエーツ、1983年。
  3. 1 2 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、189頁
  4. 1 2 人事興信録 第14版 1943.
  5. ↑ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  6. ↑ 神鞭常孝『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上巻』人事興信所、1943年。 
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。