笠置温泉
笠置温泉(かさぎおんせん)はかつて京都府相楽郡笠置町にあった温泉。炭酸飲料発祥の地としても知られる。

戦前期には「大阪の奥座敷」とも呼ばれ、笠置山とともに観光資源として多くの観光客を入れ込んでいた[1]が、2026年現在温泉施設は姿を消している。
有市鉱泉

関西電力相楽発電所が建つ。この取水堰の建設が温泉に影響を与えたともいわれる[2]。(2025年)
初期に使われていた鉱泉。歴史は古く、江戸期にはすでに泉源が確認されており、「稲竈鉱泉」と呼ばれていた[3]。
明治初期に明石博高[注 1]らによって本格的な調査が始まった。当時の源泉は市街地から東に離れた木津川沿い(関西本線木津川橋梁付近)にあったとされ、弱酸性の炭酸泉で、泉温は64℉(18℃)であった[4]。
当時は主に飲泉されており、胃腸への効用などが盛んに喧伝されていた。1880年ごろに「山城炭酸水」として商品化されたものは日本初の炭酸飲料といわれ、宮内省の調度品にも用いられたと言われる[5][6][注 2]。2016年からは笠置町内で当時のラベルを用いて販売する復刻キャンペーンが行われており、2026年時点で年間1400本が生産されている[7]。
浴用としての活用は、鉄道の開通を機に1897年ごろに源泉近くに温泉旅館(のちの笠置館)が創業したことにはじまる[6]。当時は水運や伊賀街道に代わり関西本線が主要幹線となり、また笠置山が国指定名勝となったことも相まって多くの観光利用があった。笠置館は交通アクセス改善のため、程なくして駅近くに移転、以降は川船を用いて引湯されていた[注 3]。資料が少なく定かではないが、大正~昭和初めの全盛期には笠置館のほか、「笠置新温泉」「笠置菊水温泉」など複数の旅館が木津川畔に立ち並んでいたという[9][10]。
しかしそれらは戦後までに衰退。笠置館での給湯は1950年に川船からパイプラインに切り替えられたが、同時期のジェーン台風や伊勢湾台風の影響で破損、以後は源泉の使用そのものが停止された[注 4]。以後笠置館は料理旅館として営業[3]、2010年頃に閉館したが、2026年現在も建物は解体されていない[9]。
笠置大光天温泉
笠置中心部から東に外れた木津川北岸、有市附竹地区の国道163号(旧道)に面した場所に1962年ごろに開業したホテル「笠置観光ホテル」の独自源泉[7]。
1983年に開削[3][注 5]。泉質はアルカリ性ナトリウム炭酸水素塩泉で、泉温は22.7℃[11]。
ホテルの経営実態は不明だが、1990年ごろに廃業したのち、落石対策の費用が捻出できないこともあり、2019年に登記が抹消されて以降も建物は解体されていない[7][12]。関西でも有名な心霊スポットとして[注 6]、無断立ち入りや不審火が相次いでいる[13]。
わかさぎ温泉
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わかさぎ温泉笠置いこいの館空撮(2011年) | |
| 温泉情報 | |
| 所在地 | 京都府相楽郡笠置町笠置隅田24 |
| 交通 | #交通参照 |
| 泉質 | ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉 |
| 泉温(摂氏) | 32.5 °C |
| 湧出量 | 32L/分 |
| pH | 7.7 |
| 液性の分類 | 弱アルカリ性 |
| 浸透圧の分類 | 低張性 |
| 温泉施設数 | 0 |
| 特記事項 | 2019年から休館。 |
「わかさぎ温泉笠置いこいの館」は笠置の中心部、駅やや南にあった日帰り温泉施設。
1997年に町の出資で新たに源泉(弱アルカリ性ナトリウム炭酸水素塩塩化物泉)を掘削し開業した。2000年にピークを迎えるもその後減少に転じ、何度か運営が移ったのち、2019年から長期休館中である[14][15][16][注 7][注 8]。
地域住民からは再開を望む声も大きいといい、2022年発表の第4次笠置町総合計画においても町は再開を目指していると明記されている[18]。当初は大阪市の民間企業から職員派遣を受けての再建事業を計画していたが、この計画は2024年6月に断念された[19]。
交通
明治後期の関西鉄道の時代には月ケ瀬梅林とともに観光の目玉として盛んに喧伝されていた[20]。昭和以降も一部の普通列車の行き先であったほか、行楽期には急行「かすが」など優等列車が笠置駅に停車したり、1970年代を中心に京都や湊町から当駅までの臨時列車が運行されたこともあったりしたが[21]、1973年の湊町 - 奈良間、および1988年の木津 - 加茂間の電化完成に伴い大都市方面からの直通列車は廃止され[注 9][22][23]、「かすが」の運行と臨時停車も2006年に取り止められた。直通列車の廃止が、温泉街衰退の遠因とされることもある[13]。
関連項目
脚注
注
- ↑ 京都舎密局設立に尽力した理科学者。
- ↑ 諸説あり。なお、日本発祥の著名な炭酸飲料であるウィルキンソンタンサンや三ツ矢サイダーも天然鉱泉を飲用したものが起源となっている。
- ↑ なお移転後、源泉地付近にも別に旅館がおかれたようである(開業時期不明)[8]。
- ↑ 2025年に朝日放送テレビ『newsおかえり』で特集された際は、「昭和28年西日本水害の影響で温泉のくみ上げ設備が破損したため」と紹介された[5]。
- ↑ 国道163号笠置トンネルの開通による利用者減少の対応として開削されたとする話もある。
- ↑ 2003年、 魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイルにて同ホテル内で心霊写真が撮影されたという内容が放送された。
- ↑ 休館にあたっては、指定管理料及び未納分の水道使用料の返還を求める町と、笠置いこいの館の設備に不備があったとして損害賠償金を求める運営母体・フェイセスの間でのちに訴訟が行われたが、最終的に和解している[17]。
- ↑ 一部はボルダリング施設として開放されている。
- ↑ ただし1989年9月から1994年5月にかけては、行楽期に普通列車に接続する臨時快速「笠置ホリデー」が加茂 - 笠置で運転された。
出典
- ↑ “001216397.pdf”. 国土交通省 (2018年). 2025年5月3日閲覧。
- ↑ 樽井由紀 (2021年1月29日). “明治期に瓶詰で発売された稲竈鉱泉(現笠置温泉) 京の湯浴み万華鏡(其の三) - Kyoto Love. Kyoto 伝えたい京都、知りたい京都。”. kyotolove.kyoto. 2025年4月27日閲覧。
- 1 2 3 『京都府温泉誌』京都府衛生部薬務課、1985年。
- ↑ 内務省衛生局 編『日本鉱泉誌 : 3巻 中』1886年。
- 1 2 「京都・笠置町の廃旅館に隠された謎 かつて栄えた場所の不運の歴史…失われし一大産業とは?」『newsおかえり』朝日放送テレビ、2025年6月28日。
- 1 2 『京都府鉱泉誌 1964』京都府衛生研究所、1964年。
- 1 2 3 “温泉が消えた「人口1007人の町」に観光客15万8356人…30年間解体できない《廃墟ホテル》と、100年ぶりに復活した「飲み物」”. 東洋経済オンライン (2026年8月22日). 2026年10月9日閲覧。
- ↑ 『相楽郡誌』(京都府教育会相楽郡部会、1920年)などには「笠置温泉」と「有市鉱泉」が別に表記され、『避暑と温泉』(駸々堂旅行案内部、1911年)には「【有市温泉】關西線大河原驛西南約十三丁、木津川畔にあり…(中略)…宿泊料笠置温泉と變らず」と記されている。
- 1 2 「「温泉が出ない温泉街」に何が起きたのか…廃墟ホテルを抱える町の謎と再生の道」『テレ朝NEWS』2026年2月21日。オリジナルの2026年2月21日時点におけるアーカイブ。2026年3月26日閲覧。
- ↑ ジヤパン・ツーリスト・ビユーロー『旅程と費用概算 昭和6年版』博文館、1931年、381頁。
- ↑ 尾崎正紀; 寒川旭; 宮崎一博; 西岡芳晴; 宮地良典; 竹内圭史; 田口雄作 (2000). “奈良地域の地質”. 地域地質研究報告 (地質研究所) 京都(11) (52).
- ↑ “株式会社笠置観光ホテル | HelloBoss – 全国最大550万社の企業データベース【無料】”. helloboss.com. 2026年3月26日閲覧。
- 1 2 “京都『笠置観光ホテル』で34人恐喝疑い”. 週刊女性PRIME (2025年11月17日). 2026年3月26日閲覧。
- ↑ 笠置いこいの館指定管理者応募の皆さまへ ~ パートナーへ届ける想い
- ↑ 産経新聞 (2018年4月21日). “経営難で休館中の温泉施設、飲食店経営会社が運営へ 京都・笠置町、27日に営業再開”. 産経新聞:産経ニュース. 2025年4月27日閲覧。
- ↑ “【笠置いこいの館】温浴・温泉施設及び食堂施設休業のお知らせ | 笠置町”. www.town.kasagi.lg.jp. 2026年3月27日閲覧。
- ↑ 笠置いこいの館に関する指定管理料の返還に係る訴訟について - 笠置町
- ↑ “sougoukeikaku-kasagi.pdf”. 笠置町 (2022年3月). 2025年5月3日閲覧。
- ↑ 「「いこいの館」 派遣受けての再建断念 町内企業核に再検討 笠置町 /京都」『毎日新聞』2024年6月18日。
- ↑ 小野佐和子 (1995年). “研究発表論文 新聞広告に現された明治時代の月瀬”. j-stage. 2025年5月3日閲覧。
- ↑ 『時刻表 1971年10月号』JTB(日本交通公社)、1971年。
- ↑ 『時刻表 1973年10月号』JTB(日本交通公社)、1973年。
- ↑ 『時刻表 1988年3月号』JTB(日本交通公社)、1988年。
- ↑ 田山花袋 編『新撰名勝地誌 畿内之部』博文館、1910年。
- ↑ “里見弴・詳細年譜 | 小谷野敦 公式ウェブサイト”. akoyano.la.coocan.jp. 2025年8月13日閲覧。
- ↑ 大町桂月『筆のすさび』富山房、1912年。