細川千巌

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細川 千巌(ほそかわ せんがん、旧字体: 細川 千巖、1834年3月5日〈天保5年1月25日〉 - 1897年〈明治30年〉11月25日)は、幕末から明治時代にかけての真宗大谷派の学僧、仏教学者。幼名は善次郎。出家後の法名は千巌。号は天薫、伯東。長崎でのキリスト教探索に携わったほか、東本願寺学寮の最高位である講師を務め、『教行信證』など浄土真宗の教義に関する多くの解説書・講義録を残した[1][2]。

生涯

1834年3月5日(天保5年1月25日)、美濃国安八郡南条村坂(のちの安八郡名森村、現・岐阜県安八郡安八町)に生まれた。父は平兵衛。のちに福岡県の伯東寺に入る。幼少期より出家して智海に入門し、のちに一蓮院、香山院といった当時の碩学に師事した。1857年(安政4年)に学寮司に就任した[1]。

1863年(文久3年)、本山(東本願寺)の命を受け、龍山慈影や雲英猶龍(後の関信三)らと共に長崎へ赴いた。キリスト教(耶蘇教)の布教状況を調査するため、米国聖公会の宣教師チャニング・ウィリアムズ(利宇安斯)に師事して『新旧約聖書全書』を学ぶなど、日本の近代宗教史におけるキリスト教対策・研究の先駆者の一人となった[3]。

維新後も学寮(現・大谷大学)において宗学の研究と後進の指導に励んだ。1869年(明治2年)10月に擬講、1871年(明治4年)9月に三等学師、1876年(明治9年)10月に二等学師、1887年(明治20年)10月に一等学師および嗣講に昇進した[1]。

1889年(明治22年)には『真宗大学寮沿革略誌』を編纂し、歴代講師表を初めて作成・整理した[1]。

1894年(明治27年)11月、東本願寺学寮の最高位である「講師」に就任した。1897年(明治30年)11月25日に死去。享年64(満63歳没)[1]。

近世から近代にかけての浄土真宗における布教や教学研究において大きな足跡を残した。浄土真宗の根本聖典である『教行信證』をはじめ、親鸞や法然の教えに関する講義録や重要な解説書を多数執筆・発刊した。これらの講述録の多くは後世に書籍化され、現代においても貴重な仏教書・古書として扱われている[1][2]。

主な著書・講録

  • 『教行信證講義』
  • 『選擇集講述』
  • 『七祖綱要』
  • 『千巌語録』
  • 『真宗大学寮沿革略誌』(1889年編纂)

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 『東本願寺講者書翰集』小串侍 編、法蔵館、1977.2、p112
  2. 1 2 細川千巌 著者情報 - 臺灣大學佛學數位圖書館
  3. ↑ 『維新精神史研究』徳重浅吉 著、立命館出版部、昭和9、p554