大内裏の南面、朱雀門の東、二条大路に面し、東壬生大路に向かう。大きさは5間、3戸、2閣で、屋根には鴟尾があり、東西各1間、東西2面とも粉壁だった。
延暦13年(794年)、宮城経営のとき越前国が造営し、壬生氏がこれを監したことがその名称の由来(みぶ → びふく)。当初は「壬生門」といった。弘仁9年(818年)、額を改め、弘法大師の筆額を掲げた。
永祚元年(989年)、大風で転倒。正暦4年(994年)7月、雷震で門柱を焼亡。寛弘4年(1007年)1月、藤原行成が詔を奉じて額字を修飾。長元7年(1034年)8月、大風で転倒。
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