若田栄吉
若田 栄吉(わかた えいきち、嘉永4年(1851年)1月2日[1] - 大正8年(1919年)6月18日[1])は新選組隊士。箱館編成新選組第一分隊平士。
武蔵国江戸出身で、幕臣・若田重三郎義章の三男として生まれた。当初は武蔵国江戸麻布古川町に在住していたが、戊辰戦争の開戦を切っ掛けに、箱館奉行所に勤めていた兄・若田富次郎の許で蝦夷国箱館に移住する。旧幕府軍が蝦夷国箱館に渡航してから新選組に入隊する。薩摩藩士・黒田清隆を総大将とする新政府軍の総攻撃を受け、明治2年(1869年)5月15日に弁天台場で降伏し、陸奥国弘前・薬王院に収容される。赦免後、駿河国静岡藩に預けられる。一時、兄の許で沼津に在住する。
大正8年(1919年)6月18日に東京で死去[1]。享年69歳。