華製新漢語
華製新漢語(かせいしんかんご)は、西学東漸の時期に、西洋の新しい概念を表すために中国で形成された漢字語を指す。[1]日本語の語彙研究では、このうち中国から日本語に入った語を指す名称として用いられ、日本で形成された「和製新漢語」と対比される。[1][2]:219近代新漢語は、中国では「新名詞」「文明詞」「近代新詞」などとも呼ばれる。[1]
西洋の学術を紹介した文献

明末清初、マテオ・リッチや徐光啓らによる西洋書の翻訳を通じて導入・創出された語には、「幾何」「對數」「地球」「赤道」などがある。[3]また、中国で活動した宣教師が用いた「陪審」「化學」も華製新漢語の例である。[1]こうした語の一部は、漢訳洋書や英華辞書を通じて日本にも伝わった。[2]:219
英華辞書の一つに、アメリカ人宣教師サミュエル・ウェルズ・ウィリアムズが1843年に編纂を始め、翌年にマカオで刊行した『英華韻府歷階』がある。この英中辞書は、外国人による中国語の発音の習得を助けることを目的とし、見出し語を英語のアルファベット順に配列している。[4]:124–126同書の新語には、漢字の語素を組み合わせて新しく作った語と、既存の語を新しい概念の訳語に用いることで新たな意味を与えた語がある。[4]:126–129
形成方法
黃河清は、『英華韻府歷階』の新語の形成方法を、既存語の転用、偏正構造による造語、その他の方法に分けている。既存語の転用には、意味の転移、意味の縮小、品詞の転換がある。例えば、「數學」はもともと術数の学を意味したが、明末のイエズス会士は算術の意味で用いており、その後、次第に近代的な学問の名称となった。これは意味の転移の例である。一方、「會議」はもともと集まって議論することを表す動詞だったが、辞書では英語の conference に対応する名詞として用いられており、品詞の転換に当たる。[4]:126–129
偏正構造は、修飾成分と中心となる語から成る。例えば「耳膜」は、「耳」が中心語の「膜」のある部位を示している。「洗禮」は、中心語の「禮」によって儀式であることを示す。ロバート・モリソンはそれ以前に baptise の訳語として「付洗」「領洗」を用いており、ウィリアムズはその「洗」を引き継いで、baptism の訳語「洗禮」を作った。偏正構造以外には、主語と述語から成る主述構造もある。「十進」は十ごとに一つ位を上げることを意味し、同書では「十進之數」という形で英語に対応させている。[4]:129–132, 137
伝播
陳力衛は、近代日本語の新漢語を、中国語から直接借用した語、中国の古典語を外来概念に転用した語、日本人が漢字を用いて新しく作った訳語の三つに分けている。このうち中国語から直接借用した語には、漢訳洋書や中国で出版された英華辞書から取り入れた語が含まれる。[2]:219
英華辞書に収められた新語は、その後の中国語の著述にも見られる。「洗禮」は1848年の『瀛環志略』に、「耳膜」は1851年の『全體新論』に現れる。また、辞書の流通とともに日本にも伝わった。1869年には柳沢信大が『英華韻府歷階』に訓点(漢文を日本語で読み下すための符号[5])を施し、『英華字彙』の名で日本で翻刻した。黃河清の集計によると、同論文で取り上げた日本に伝わった27語のうち25語は、ロプシャイト(羅存徳)の『英華字典』にも収録されている。「會議」「數學」「首相」などがその例である。[4]:135–136
陳力衛は、近代の漢語訳語を考察する際には、日中間の交流に伴う意味の変化も追う必要があると指摘している。例えば「裁判」と「審判」、「共和」と「民主」のように、同じ英語の概念に対して日中で異なる漢字の訳語を当てた後、互いの訳語を取り入れ、次第に意味の分化が進んだ例がある。また、「文學」「小說」「精神」は19世紀の英華辞書ですでに英語の対訳語として用いられていたものの、当時、西洋の新しい概念に対応していたかどうかには疑問が残るとしている。これらの語が日本語で意味の再確認や取捨選択を経て定着する過程を重視している。[2]:221
語例
黃河清は『英華韻府歷階』を調査し、同書に収録された44語を当時の新語と判断している。そのうち27語は後に日本へ伝わった。これら44語は現在も使われているか、現在の語と密接に関連しており、同書の用例は『漢語大詞典』および『近現代漢語辭源』が挙げる用例よりも古い。下表はそのうち9語を示す。[4]:126, 135
| 語 | 対応する英語 | 形成方法 | その後の伝播 |
|---|---|---|---|
| 會議 | conference | 既存語の転用。動詞から名詞へ転換 | 後にロプシャイトの『英華字典』にも収録され、日本に伝わった |
| 數學 | mathematics | 既存語の転用。次第に近代的な学問の名称となった | 後にロプシャイトの『英華字典』にも収録され、日本に伝わった |
| 首相 | prime minister | 既存語の転用。宰相の首位にある者を指した中国の古い呼称を、近代の政治職の訳語に用いた | 後にロプシャイトの『英華字典』にも収録され、日本に伝わった |
| 袋鼠 | kangaroo | 偏正構造による新語 | 日本に伝わった後、一時はカンガルーを指したが、後にオポッサムを指すようになった |
| 企鵝 | penguin | 偏正構造による新語 | 英華辞書を通じて日本の辞書にも入ったが、「企鵝」という訳語は日本語では広まらなかった |
| 手套 | glove | 偏正構造による新語 | 後の英華辞書にも見られ、日本に伝わった |
| 洗禮 | baptism | 偏正構造による新語。既存の訳語の「洗」を引き継ぎ、「禮」によって儀式であることを示す | 後にロプシャイトの『英華字典』にも収録され、日本に伝わった |
| 外來 (外來種) |
exotic | 副詞的な修飾成分と中心語から成る偏正構造。形容詞として用いられる | 日本に伝わり、ロプシャイトの『英華字典』にも imported の項目に収録された |
| 十進 (十進之數) |
decimal | 主述構造。十ごとに一つ位を上げることを表す | 後にロプシャイトの『英華字典』にも収録され、日本に伝わった |
関連項目
脚注
- 1 2 3 4 胡新祥 (2018年3月31日). 中日近代新漢語についての研究―仏教由来漢語を中心に― (博士論文). 立教大学. pp. 1–2. doi:10.14992/00015904.
- 1 2 3 4 陳力衛 (2012-03). “和製漢語と中国語”. お茶の水女子大学比較日本学教育研究センター研究年報 (8): 217–222.
- ↑ 熊月之 (2011-03) (中国語). 西学东渐与晚清社会 (修訂版 ed.). 中国人民大学出版社. p. 545. ISBN 9787300129587
- 1 2 3 4 5 6 7 黃河清 (2024). “《英華韻府歷階》中的新詞語、新概念” (中国語). 文化雜誌 (澳門特別行政區政府文化局) (120): 124–139.
- ↑ “平安時代編—日本語歴史コーパス(CHJ)”. 国立国語研究所. 2026年10月22日閲覧。