蕭放

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蕭 放(しょう ほう、生没年不詳)は、南朝梁の皇族。字は希逸[1][2]。

経歴

蕭祗の子として生まれた。太清3年(549年)、侯景が建康を陥落させると、蕭放は父とともに東魏に亡命した。父が死去すると、墓のそばに廬を営んで喪に服した。廬の前の樹上に2羽の鳥が巣をつくり、午後には哭泣するように悲しげに鳴いた。このとき家人が廬の中をうかがうと、蕭放は必ずいて喪礼をおこなっていた。このため蕭放は孝行で名を知られた。服喪を終えると、爵位を嗣いだ[1][2]。

北斉の武平年間、待詔文林館をつとめた。蕭放は文学を好み、宮中の史書や詩賦を読みあさり、屏風などの絵の監修をおこなった。太子中庶子・散騎常侍に累進した[3][2]。

脚注

  1. 1 2 北斉書 1972, p. 443.
  2. 1 2 3 北史 1974, p. 1059.
  3. ↑ 北斉書 1972, pp. 443–444.

伝記資料

参考文献

  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1。 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。