藤原有成

ウィキペディアから、無料の百科事典

藤原 有成(ふじわら の ありなり、生没年不詳)は、平安時代後期の貴族。藤原北家真夏流、式部大輔・藤原敦宗の子。官位は従四位下・日向守。

経歴

堀河朝で文章生となり、蔵人所雑色を経て、春宮・宗仁親王の春宮蔵人を務めた。

嘉承2年(1107年)宗仁親王が践祚(鳥羽天皇)すると、有成は六位蔵人となり引き続き身近に仕え、嘉承3年(1108年)式部少丞を兼ねる。天仁2年(1109年)巡爵により従五位下に叙せられるが、父祖のように儒官には就かず、天永2年(1111年)和泉守に任官して受領となった。

天永3年(1112年)皇后宮大進に任ぜられると、その後30年ほどに亘って皇后・令子内親王に仕える。鳥羽院政期後期の仁平元年(1151年)日向守として約40年ぶりに受領に遷る。久寿2年(1155年)日向守に重任されるが、後白河院政期初頭の保元3年(1158年)日向守を辞している。

人物

日記に『有成記』がある。元永2年(1119年)顕仁親王(のち崇徳天皇)の出生に際して、有成は鳴弦の役を奉仕したことから、『有成記』の逸文が『御産部類記』に残っている[1]。

官歴

系譜

『尊卑分脈』による。

  • 父:藤原敦宗
  • 母:藤原資宗の娘
  • 妻:藤原俊信の娘
    • 男子:藤原隆業
    • 男子:藤原政業
    • 男子:藤原範業
  • 妻:藤原家子 - 皇嘉門院宮内侍、藤原俊信の娘と同一?
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原資家
    • 男子:清豪
    • 男子:静然
    • 男子:寛然
  • 養子女
    • 男子:藤原定資

脚注

  1. ↑ 『東京大学史料編纂所報』第25号 p.77
  2. ↑ 『御産部類記(図書寮叢刊)』1-94
  3. 1 2 3 4 5 6 『中右記』
  4. ↑ 『大間成文抄』第4
  5. ↑ 『大記』
  6. 1 2 『国司補任』
  7. ↑ 『仙洞御移徙部類記(図書寮叢刊)』2-382
  8. ↑ 『重憲記』
  9. ↑ 『仙洞御移徙部類記(図書寮叢刊)』2-399
  10. ↑ 『台記』
  11. ↑ 『為親記』
  12. ↑ 『山槐記』

参考文献