藤原章信

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藤原 章信(ふじわら の あきのぶ、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。藤原北家長良流、参議・藤原元名の孫。春宮亮・藤原知章の子。官位は正四位下・宮内卿。

経歴

文章生を経て、寛弘8年(1011年)正月に六位蔵人となるも、同年6月に一条天皇が譲位したためいったん蔵人を去る。しかし、同年10月に三条天皇の蔵人として再任され、長和2年(1013年)従五位下に叙せられた。

後一条朝初頭に右衛門権佐を務めるが、寛仁4年(1020年)には左少弁と五位蔵人も兼帯し三事兼帯となる。同年右中弁に昇任されると、治安3年(1023年)従四位下、万寿元年(1024年)従四位上、万寿2年(1025年)権左中弁と後一条朝中期は弁官を務めながら順調に昇進した。またこの間、中宮亮として中宮・藤原威子にも仕えている。

長元2年(1029年)弁官を離れて伊予権守に任ぜられ、受領として現地に赴任すると、長久元年(1040年)但馬守、のち丹波守と、後一条朝後期から後冷泉朝にかけて地方官を務めた。

また、時期は不明ながら宮内卿を務め、位階は正四位下に至る。

官歴

注記のないものは『弁官補任』による。

系譜

注記のないものは『尊卑分脈』による。

脚注

  1. ↑ 『御堂関白記』
  2. 1 2 3 4 『小右記』
  3. 1 2 『蔵人補任』
  4. 1 2 『権記』
  5. ↑ 『御堂関白記』
  6. ↑ 『職事補任』
  7. ↑ 『春記』
  8. ↑ 『造興福寺記』
  9. ↑ 『尊卑分脈』
  10. ↑ 『小右記』寛仁2年4月22日条

参考文献