藤原良方

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
藤原 良方
時代 平安時代初期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位上、大蔵大輔
主君 仁明天皇→文徳天皇
氏族 藤原北家
父母 父:藤原冬嗣
母:百済王仁貞の娘
兄弟 長良、良房、良方、良輔、順子、良相、良門、良仁、良世、古子
妻 不詳
子 当興、当佐、当蔭、平高望正室
テンプレートを表示

藤原 良方(ふじわら の よしかた)は、平安時代初期の貴族。藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の三男[1](異説もある)。官位は従五位上・大蔵大輔。

経歴

仁明朝の承和6年(839年)従五位下・加賀介に叙任され、承和13年(846年)侍従に任ぜられる。

文徳朝では大蔵少輔を務め、仁寿元年(851年)10月奉幣使として香椎八幡大菩薩宮に派遣される[2]。仁寿3年(853年)従五位上に至る。

外祖父の百済王仁貞は従四位下に叙せられた中堅貴族であったが、延暦10年(791年)に没している事から、良方の誕生はそれから15年以上後と推定されている[3]。従って、その立場は弱く、承和6年(839年)に従五位下に叙せられた後、従五位上に昇進するまでに14年もかかっており、最終的には従五位上・大蔵大輔に終わっている。他の兄弟との比較では、五位に昇進する前に早世した良門を除いて、最も昇進が遅かった事から、能力的な問題もあったと考えられている。

官歴

『六国史』による。

系譜

『尊卑分脈』による。

脚注

  1. 1 2 『尊卑分脈』
  2. ↑ 『日本文徳天皇実録』仁寿元年10月11日条
  3. ↑ 良方の生年は不詳であるが、生年が判明している冬嗣の次男良房と五男良相の生年から800年代後半であったとみられる。

出典

  • 栗原弘「藤原冬嗣家族について」(初出:『阪南論集 人文・自然科学編』第27巻4号、所収:栗原『平安前期の家族と親族』(校倉書房、2008年) ISBN 978-4-7517-3940-2 第二部第二章)
  • 森田悌『続日本後紀』(上下巻)、講談社〈講談社学術文庫〉、2010年
  • 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年