若くから文名が高く、李嶠とともに「蘇李」とうたわれた。突厥族征討の軍に書記として参加し、才能を認められ、則天武后の聖暦の初め(698年頃)には宰相となった。しかし明確な政策を持たず、自ら宰相は決断してはならぬ、ただ模稜(ごまかし)していればよいのだと言ったため、模稜宰相と呼ばれたと言う。また親の墓を作ろうとして人民の墓地を壊したり、宰相らしからぬ行為が多かったため罷免され、武后の政権が倒れるとともに眉州刺史に流され、更に益州に遷される途中で死んだ。
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