衣笠景延

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衣笠景延
衣笠因幡景延(福岡市博物館蔵)
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 天文16年(1547年)
死没 寛永8年3月18日(1631年4月19日)
改名 景延→卜斎(号)
別名 佐範、景信、通称:久右衛門(きゅうえもん)
官位 因幡守
主君 小寺氏→黒田職隆→孝高→長政
藩 筑前福岡藩
氏族 衣笠氏
子 左兵衛、左近
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衣笠 景延(きぬがさ かげのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。福岡藩士。端谷城主。黒田二十四騎の一人。

略歴

小寺氏から与力として黒田氏に移り、黒田職隆に小姓として仕えた。天正5年(1577年)の英賀合戦の際に包囲された栗山利安を救い、旧主小寺家への使者を務める。小寺政職の死後、黒田孝高の命により遺児・氏職を探し出し、播磨国に連れ帰った。

天正15年(1587年)の豊前一揆では、姫隈城の日熊直次を降した。文禄・慶長の役では後藤基次と先鋒についた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは松山城を守備。慶長6年(1601年)、黒田氏が筑前国に入国した後に、中老並みの3,000石を拝領。

寛永8年(1631年)3月18日、死去。享年85(79歳とも[1])。

智謀、歌道に秀でた。

脚注

  1. ↑ 安藤英男『黒田官兵衛のすべて』中経出版、2013年

出典