誠備グループ事件

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誠備グループ事件(せいびグループじけん)とは日本の相場師・加藤暠が起こした事件。「誠備事件」とも呼ばれる[1]。

概要

黒川木徳証券の証券外務員の加藤は有価証券市場における株価の形成が四大証券(野村証券・大和証券・日興証券・山一証券)を中心とする幹事証券会社の都合により不当に形成され、これを監督すべき東京証券取引所や大蔵省の行政指導も大手証券会社等に偏っていることで、四大証券の上顧客だけが儲かり、一般の個人投資家が犠牲を強いられているとの趣意を抱くようになり、こうした大手証券会社に対抗して自らも利益を挙げるためには、個人投資家の力を糾合して資金を集めて売買一任を受けて自らが資金を株の仕手戦で管理・運用するようになった。その結果として加藤の指示に基づいて株式売買を行うところの顧客を束ねた加藤を中心とする誠備グループが形成されていった。

その過程で加藤が証券会社で管理していた顧客の借名口座の株売買に絡んだ利益について税務当局に申告しなかった疑惑が浮上し、1981年2月9日に加藤の顧客である貸金業の男と加藤のスタッフである「誠備投資顧問室」元社員が、同年2月16日に加藤が仕手戦における株売買に絡んだ利益に関して所得税を脱税した所得税法違反で逮捕された[2][3]。同年3月9日に「誠備投資顧問室」元社員は処分保留で釈放された後に起訴猶予処分となったが、加藤と貸金業の男が仕手戦における株売買に絡んだ利益に関して所得税を脱税した所得税法違反で起訴された[4]。起訴事実は加藤は借名口座である32口座を使って株の売買を行って1978年度には約10億6000万円、1979年度には約25億2000万円を所得がありながら税務署には証券外務員として歩合手数料(両年で約3億2000万円)しか申告せずに約24億4000万円を脱税し、同様の手法で加藤の顧客である貸金業の男と共謀し、貸金業の男の1978年と1979年の両年度の所得税7億2000万円を脱税した容疑であった[5]。

貸金業の男は脱税を認めたものの、加藤は脱税を全面否認した[5]。検察の主張では貸金業の男への脱税への関与について、年50回、20万株を超える株取引は課税対象になるため証券会社八社に架空口座を開設するように指導していた加藤は主導的立場にあり、貸金業の男から資金を引き出して仕手戦につぎ込んでいた実態や税務対策の綿密な指導ぶり等を明らかにした上で加藤は仕手戦遂行のために貸金業の男の資金が絶対必要でその資金の一部を納税させることは防ぎたかったとした[5]。加藤本人の脱税についても加藤の借名口座の32口座の取引原資は加藤所有の株券を証券金融会社に差し出すことで用立てており、借名口座の32口座は自分自身の利益のために相場を張った手張りであるとし、1984年8月31日に加藤に対して懲役3年6か月・罰金8億円を貸金業の男に懲役1年6か月・罰金2億円をそれぞれ求刑した[5][6]。それに対して、加藤は「株売買は客の為になされ、得た利益は客のもの」「株売買を手伝ったが、税金を申告するしないはお客さんの問題」として無罪を主張した[5]。一方で加藤は顧客の為に株売買をしたといいながら、その顧客を明かすことは拒否し続けていた[5]。

1985年3月22日に東京地裁は32口座について「顧客ごとの株取引に関する書類が事件発覚前に持ち出されて行方不明となっている」「32口座での取引の実態を知るとみられる女性秘書らの所在が不明」「加藤自身も顧客の氏名を明かそうとしない」などの理由から全容の解明や立証が困難であり、32口座の株売買益が加藤のものであるという立証が不十分で顧客に帰属する可能性があるとして加藤本人分の脱税は無罪とし、貸金業の男の脱税について「脱税に積極的に関与。浮いた資金を新たな仕手戦に振り向け利益を得ていた」として有罪とし、加藤に懲役1年2か月、貸金業の男に懲役1年2か月罰金1億円の有罪判決を言い渡した[7]。加藤は1981年2月に逮捕されて1983年8月に保釈されるまで2年半にわたって小菅の東京拘置所に収監されてた一方で、未決勾留日数が算出されたため新たに身柄は拘束されなかった[7]。検察は加藤分の脱税について有罪を求めて、加藤と貸金業の男は無罪や減刑を求めてそれぞれ控訴した。1986年10月15日に東京高裁は貸金業の男について控訴を棄却し、1990年4月20日に東京高裁は加藤について控訴を棄却し、判決を維持し確定した[1][8]。

その他

  • アメリカの弁護士であるローレンス・レペタは誠備グループ事件に絡む加藤の公判の傍聴をし、その過程で「メモを取る許可願」を裁判所に求めたが認められなかったことで国家賠償請求訴訟を提起した。

脚注

出典

  1. 1 2 「誠備事件 加藤被告の脱税無罪 一審支持、顧客分は認定/東京高裁判決」『読売新聞』読売新聞社、1990年4月20日。
  2. ↑ 「「誠備」の会員逮捕 総額7億円 共犯の元社員も 仕手戦脱税 ついに強制捜査」『朝日新聞』朝日新聞社、1981年2月9日。
  3. ↑ 「「誠備」主宰の加藤逮捕 脱税共犯 買占め資金作る 失墜、仕手戦ヒーロー」『朝日新聞』朝日新聞社、1981年2月17日。
  4. ↑ 「「誠備」の加藤、脱税で起訴 架空名義の口座追及へ」『朝日新聞』朝日新聞社、1981年3月10日。
  5. 1 2 3 4 5 6 「仕手戦仕組み31億、架空口座作り客にも集う。」『日本経済新聞』日本経済新聞社、1984年8月31日。
  6. ↑ 「誠備の加藤被告、懲役3年6月求刑――罰金は最高の8億円。」『日本経済新聞』日本経済新聞社、1984年8月31日。
  7. 1 2 「誠備の加藤被告、“24億円脱税”は無罪――東京地裁「株売買益、客に帰属も」」『日本経済新聞』日本経済新聞社、1985年5月23日。
  8. ↑ 「共犯のX被告にも実刑、誠備グループ脱税で東京高裁」『読売新聞』読売新聞社、1986年10月15日。

参考文献

  • 西崎伸彦『株の怪物 仕手の本尊と呼ばれた男・加藤暠の生涯』宝島社、2025年。ISBN 978-4-2990-5595-8。