辛替否

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辛 替否(しん たいひ、生没年不詳)は、唐代の官僚。字は協時。本貫は京兆府万年県[1]。

経歴

景龍年間、左拾遺となった。ときに中宗が公主府に属官を置き、安楽公主の府が最も官吏が多かった。また駙馬の武崇訓の死後、安楽公主は旧宅を棄てて別に一宅を造り、その豪華なことは度を越していた。さらに仏寺を盛んに造営して、民衆を疲弊させ、濫費のため官庫も空になっていた。替否は上疏してこれらを諫めた。その上疏は中宗に聞き入れられなかった[2][3]。

景雲元年(710年)、睿宗が即位すると、金仙公主と玉真公主のために金仙観と玉真観が造営された。替否は左補闕となり、上疏して時政について述べた。睿宗はその公正実直さを嘉した。ほどなく替否は右台殿中侍御史に転じた。開元年間、官を重ねて潁王府長史となった。天宝初年、死去した。享年は八十数歳であった[4][5]。

脚注

  1. ↑ 新唐書 1975, p. 4277.
  2. ↑ 旧唐書 1975, pp. 3155–3158.
  3. ↑ 新唐書 1975, pp. 4277–4279.
  4. ↑ 旧唐書 1975, pp. 3158–3161.
  5. ↑ 新唐書 1975, pp. 4279–4281.

伝記資料

参考文献

  • 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 
  • 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。