邑井一

ウィキペディアから、無料の百科事典
邑井(むらい) 一(はじめ)
本名 村井 徳一
生年月日 1841年
没年月日 1910年4月8日
師匠 二代目一龍斎貞山
活動期間 1857年 - 1910年

邑井 一(むらい はじめ、1841年- 1910年4月8日[1])は、講談師。本名∶村井 徳一[1]。幼名は「重吉」[2]。

経歴

江戸牛込南町の田安家家臣[2]の子として生まれる。

15歳で旭堂南鱗に弟子入りを試みたが断られ、16歳で初代真龍斎貞水に入門[2]して、菊水と名乗る[1]。貞水が二代目一龍斎貞山を襲名したことに伴って貞朝と名乗り[1]、初代貞吉の三代目一龍斎貞山に伴い、二代目一龍斎貞吉を襲名する[1]。

後年、本姓から邑井貞吉とした[1]。1885年頃に、実子に邑井貞吉の名を譲り、邑井一を名乗った[1][3]。

芸歴

人物

何か気がかりなことがあると10日も20日も高座に出ず、「邑井一の栄螺病」として有名であった[3]。

「玉菊灯籠」「五福屋政談」「小夜衣双紙」「鈴木主水の時鳥若葉の青山」などを創作したと伝わる[1]。

俳諧を好み、義父の四世松籟庵琴雅の跡を継ぎ、五世松籟庵を名乗った(松籟庵松露とする説もある)[1]。

家族

弟子

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、91-96頁。
  2. 1 2 3 4 菊池真一編『講談資料集成第1巻』和泉書院、2001年3月、25頁。
  3. 1 2 3 菊池真一編『講談資料集成第1巻』和泉書院、2001年3月、12頁。