酒井忠解

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酒井忠解
時代 江戸時代前期
生誕 寛永20年10月22日(1643年12月3日)
死没 寛文8年11月28日(1668年12月31日)
改名 杢之助(幼名)→忠解
墓所 山形県鶴岡市
官位 従五位下、備中守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光→家綱
藩 出羽大山藩主
氏族 左衛門尉酒井家
父母 父:酒井忠勝、母:おくめ(山勘左衛門の娘)
兄弟 忠当、忠俊、忠恒、忠貫、忠盛、忠直、忠解、忠興、山名恒豊
妻 婚約者:松浦重信の娘
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酒井 忠解(さかい ただとき)は、江戸時代前期の大名。出羽大山藩初代藩主。庄内藩初代藩主・酒井忠勝の七男。

生涯

寛永20年(1643年)、酒井忠勝の七男として生まれる。正保4年(1647年)、父・忠勝が没するとその遺領のうち1万石を分与され、大山藩を形成する。

万治2年(1659年)、従五位下・備中守に叙任される。寛文5年(1665年)、平戸藩主松浦重信の娘と婚約する。寛文8年(1668年)、夫婦生活を得ぬまま、鷹狩り中に腸チフスにより急逝した。享年26。

子女がなかったため、翌寛文9年(1669年)に大山藩は廃藩となり、代官の管轄地となった。