野稲城
(広島県) | |
|---|---|
| 別名 | 下和智野稲城 |
| 築城主 | 江田実綱? |
| 築城年 | 鎌倉時代? |
| 主な城主 | 和智氏 |
| 廃城年 | 不明 |
| 遺構 | 土塁 |
| 指定文化財 | 未指定[1] |
| 位置 | 北緯34度46分59.3秒 東経132度55分34.4秒 / 北緯34.783139度 東経132.926222度 |
| 地図 | |
概要
土居(土塁)跡も発見されており、13世紀-14世紀に藤原氏の系統に連なる地頭・広沢実村(地名の和智氏を名乗る[4])の一男江田(えた)実綱氏の居城(居館)かもしれない。しかし、江田氏の居館跡については不明である。
1302年に後深草院二条(久我雅忠の娘)が厳島神社詣での帰路に立ち寄った和智一族江田氏の居館で、「世を厭ふならいながらも高簀垣 憂き節々は 冬ぞ悲しき」と詠んだと日記『とはずがたり』5巻に書かれている。
江田氏の居館は、天良山[5]、江田川之内町・向江田町付近[6]、向江田町[7]または地名の脱落があり海岸に近い所の地名かも知れない[8]と校注されている。和智邸の女房達から「あなたざまも御覧ぜよ。絵のうつくしき」と江田邸に行くことを薦められている[9]ことから風光明媚な場所であったと思われる。
脚注
- ↑ 「文化財」三次市公式HP
- ↑ 備後国三谿郡向江田村、のち和田村向江田
- ↑ 広島県教育委員会編『中国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1)』pp.227 1978年(昭和53年)3月
- ↑ 三次市和知町
- ↑ 冨倉徳次郎、『とはずがたり』、現代語訳、筑摩叢書、筑摩書房、1966年
- ↑ 次田香澄校注、『とはずがたり』、校注古典叢書、明治書院、昭和53年(1978年)
- ↑ 福田秀一校注、『とはずがたり』、新潮日本古典集成、新潮社、昭和57年(1982年)
- ↑ 次田香澄全訳注、『とはずがたり』上、下、講談社学術文庫、講談社、1992年5刷
- ↑ 次田香澄校注、『とはずがたり』、校注古典叢書、明治書院、昭和53年(1978年)
