金子辰太郎

金子 辰太郎(かねこ しんたろう、1904年(明治37年)1月3日[1][2] - 1978年(昭和53年)12月8日は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。
経歴・人物
新潟県中頸城郡新井町小出雲(現:妙高市小出雲)に生まれる[1][2]。浦和高等学校を卒業[3]。1926年(大正15年)京都帝国大学法学部に入学し、在学中の1927年(昭和2年)12月[3]に高等試験行政科に合格[1][2]。1928年(昭和3年)3月、同大を卒業し、台湾総督府文教局社会課に奉職する[1][2]。1943年(昭和18年)には勲五等瑞宝章を受章した。
戦後の経歴
昭和20年(1945年)に内務省を退官後、首都道路建設株式会社、埼玉道路株式会社、金子ビルディング株式会社を経営。
家族
妻・麗子、長女・靖子
脚注
参考文献
- 台湾新民報社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1937年。
- 太田肥州 編『新台湾を支配する人物と産業史』台湾評論社、1940年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。