鈴木信重
鈴木 信重(すずき のぶしげ、生没年不詳)は戦国時代の武将。三河鈴木氏の支流・足助鈴木氏の鈴木重直の子、母は松平清康の妹・久。鈴木康重・鈴木重愛の父。伊直の兄。松平親乗は異父兄。通称は喜三郎。越後守・兵庫頭を称する。
生涯
足助城主・鈴木重直の子として生まれる。
天文23年(1554年)今川氏の馬場幸家・堀越義久に3500余騎で攻められたが、父・重直は防戦することができず、信重を人質にして今川氏に降った。
弘治元年(1555年)9月、信重は美濃国の遠山氏と東広瀬城主三宅高貞と共に小渡城を築いて今川氏に反旗をひるがえすが、今川方の原田三郎衛門尉・簗瀬九郎左衛門尉ら阿摺衆に撃退された。(三河忩劇)
永禄7年(1564年)10月6日、徳川家康が3000余騎でもって足助を攻めると、父・重直は信重を人質として降り、一族の市場城主鈴木重愛と共に石川数正の組に配された。重直は重愛と同一行動を取っており、「足助衆」とか「足助小原衆」と呼ばれていたようである。
『言継卿記』の元亀2年(1571年)4月10日条に、「武家御足軽鈴木、、、明後日三州へ下向云々」とあり、この鈴木について、「三川松平和泉守弟也」とあり、信重のことである。
天正2年(1574年)4月15日、山県昌景が足助城を攻めると、重直・信重父子は降伏して捕虜となり、足助城には下条信氏が城代として入った。足助城落城に伴い、勢力下にあった浅谷・阿摺・八桑、松平方の大沼・田代も簡単に崩れ去った
某年足助において死去。
参考文献
『足助町誌』(足助町、1975年)
『小原村誌』(小原村、1977年)
『新修豊田市史2 通史編 古代・中世』(愛知県豊田市、2020年)
小川雄「足助鱸氏の系譜と動向に関する基礎的研究」(『駒沢史学』第101号、2023年)