関口春次郎

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関口 春次郎(せきぐち はるじろう、1900年4月13日 - 1978年1月22日)は、栃木県出身の金属工学者であり名古屋大学名誉教授。日本学士院賞受賞。溶接工学の開拓者で溶接学会会長も務めた。

人物・経歴

村会議員、また村長も務めた関口忠次郎の四男として栃木県下都賀郡水代村に生まれる[1]。15歳で母を亡くし、1921年東北帝国大学工学専門部の機械科を卒業、米沢工業学校(後の山形県立米沢工業高等学校)で教諭として働く。この時期に横田武太郎の二女・ナホと結婚したが、もう一度勉強したいと思い立ち辞職。半年間準備し、東北帝国大学工学部金属工学科に合格した。長兄・庄作より月135円の資金援助を受けて学問に励み、1930年に卒業。研究の道へ進みたいと指導教官の村上武次郎にも相談していたが、諸事情あって釜石鉱山[注釈 1]に就職する。春次郎は岩手県にある釜石鉱業所に赴任。藤田俊三が取り仕切る工務調査課に配属され、川村吟次郎らの下で見習として勤務、月給は80円であった[2]。その後やはり研究の道に進むことを決意し、1931年11月に釜石鉱山を退職[2]。東北帝国大学金属材料研究所に研究補助として入所。月給は75円だったが、村上武次郎と遠藤彦造助教授の下で耐食鋼の研究に携わり満足を得ている[3]。

1938年に助教授となり、1940年に工学博士。1941年名古屋帝国大学工学部教授[4]。1952年溶接学会会長[5]。1963年日本学士院賞受賞。1964年退官、名古屋大学名誉教授[4]。1973年本多記念賞受賞[6]。

参考文献

  • 関口春次郎『溶接への道:回顧録』産報アイデアセンター、1977年4月。 NCID BN01173950。 

脚注

注釈

  1. ↑ 釜石鉱山株式会社は三井鉱山が田中鉱山を引き継いで1924年に設立された。

出典

先代
木原博
溶接学会会長
1952年 - 1953年
次代
岡田實