阿漕

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能樂圖繪「阿漕」(月岡耕漁)

阿漕(あこぎ)は、能の演目の一つ。四番目物、執心男物に分類される[1]。観世流・宝生流・金春流・金剛流・喜多流の五流に現行する[2]。作者は不詳である[3][4]。

伊勢国の阿漕浦を舞台とし、禁を犯して漁を行い、捕らえられて海に沈められた漁師・阿漕の亡霊が、生前の漁を再現したのち、殺生の罪によって受ける地獄の責め苦を演じる[5]。後場では四手網を用いた写実的な漁の所作から、波が猛火となり、かつて捕らえた魚が悪魚・毒蛇となって亡者を責める地獄の情景へと移る[6]。

『阿漕』は海の漁師、『善知鳥』は陸の猟師をシテとし、ともに殺生にかかわる行為を写実的に演じる作品である[7]。また『阿漕』『善知鳥』『藤戸』の後シテには痩男系の面と黒頭・水衣などからなる出立が用いられる[8][9]。

概要

舞台は伊勢国阿漕浦である[1]。阿漕浦は現代の三重県津市に広がる伊勢湾に位置する。

前場では伊勢参宮の途中に阿漕浦を訪れた旅僧が、老いた漁師と出会う[10]。老人は、この浦では伊勢神宮の御膳に供する魚を捕るため一般の漁が禁じられていたと語り、阿漕という漁師が夜ごと網を入れ、そのことが露見して海に沈められたという由来を明かす[11]。やがて老人は自らがその阿漕の霊であることを明かし、供養を求めて姿を消す[12]。

後場では、僧の読誦によって阿漕の亡霊が現れ、生前に行った漁を四手網を用いて再現する[13]。網を引く場面から波は猛火となり、生前に捕らえた魚は悪魚・毒蛇となって阿漕を襲う[6]。阿漕は紅蓮・大紅蓮の氷や焦熱の炎による地獄の責め苦を受け、旅人に救いを求めながら再び波底へと消えていく[6]。

『阿漕』では、阿漕の罪業が言葉によって語られるだけでなく、後シテがその原因となった漁を舞台上で再現する[13]。『能鑑賞案内』は、『阿漕』と『善知鳥』について、それぞれ海の漁師と陸の猟師をシテとし、禁を犯して魚や鳥を捕るさまをかなり写実的に演じる作品としている[7]。

登場人物

  • 前シテ - 老翁[1]
  • 後シテ - 阿漕の霊[1]
  • ワキ - 旅僧、または流儀によって日向国の男[1]
  • ワキツレ - 従僧二人[1]
  • アイ - 里人[1]

あらすじ

前場

伊勢大神宮へ参詣しようとする旅僧が阿漕浦に到着する[11]。流儀によってはワキを僧ではなく旅の男とする[13]。そこへ釣竿を携えた老人が現れ、殺生に明け暮れる身の上を嘆く[11]。

旅人が浦の名について尋ねると、老人は阿漕浦にまつわる古歌を引きながらその由来を語る[11]。老人によれば、この浦では伊勢神宮の御膳に供する魚を捕るため一般の漁が禁じられていたが、阿漕という漁師が夜ごと密かに網を入れていた[11]。漁を繰り返したためについに露見し、阿漕は捕らえられて海に沈められたという[11]。

老人は、その罪によって冥途で苦しむ阿漕を弔うよう頼む[11]。夕暮れとなり漁火が見えるなか、老人は自らが阿漕の幽霊であることを明かし、疾風が吹いて海面が暗くなるなかで姿を消す[12]。

間狂言の所の者が阿漕浦の由来を語り、供養を勧める[13]。旅僧は法華経を読誦して阿漕を弔う[13]。

後場

僧の供養を受け、阿漕の亡霊が四手網を担いで現れる[13]。後シテは海を見渡しながら舞台へ入り、四手網を置いて魚を追い込み、網を引くという、生前の漁のさまを立回りによって再現する[13]。

やがて網を引き上げる場面から、漁の再現は地獄の責め苦へと移る[13]。波は猛火となり、生前に捕らえた魚は悪魚・毒蛇となって阿漕を責める[6]。

阿漕は紅蓮・大紅蓮の氷によって身を傷め、骨を砕かれ、焦熱の炎に苦しめられるさまを演じる[13]。最後には旅人に救いを求めるが、再び波の底へと入り、曲を終える[13]。

典拠と成立

阿漕の古歌

本曲の形成には、阿漕を詠み込んだ古歌が用いられている[14][15]。

『古今和歌六帖』巻三には、「逢ふことをあこぎの島に曳く鯛のたびかさならば人も知りなん」(密漁が度重なると人に知られてしまうように、秘密の逢瀬も何度も重なれば世間に知られてしまう)という歌が収められている[14][15]。これは本来、男女の逢瀬が重なれば人に知られることを詠んだ恋歌であり、第二・第三句は「たび重なる」にかかる序詞であったとされる[14]。

一方、『源平盛衰記』巻八「讃岐院ノ事」には、「伊勢の海あこぎが浦に引網も度重なれば人もこそしれ」(隠し事や悪事も何度も繰り返すと、やがて世間に知られてしまうという)という歌がみえる[14][15]。『能鑑賞案内』は、この歌も『古今和歌六帖』の歌に基づくものとしている[14]。

また、光悦謡本『阿漕』には「伊勢の海阿漕の浦にひく網もたびかさなれば顕れぞする」という形でみえ、『古今和歌六帖』から『源平盛衰記』、謡曲へと歌形には異同がある[15]。

作者と成立年代

作者は不詳である[3][4]。作者付史料の『能本作者註文』『自家伝抄』では世阿弥作とされるが、その作者付けは信憑性を欠くとされ、現在は作者不明とされている[16]。『世界大百科事典』は作者不明とし、河上神主作とする説も紹介している[4]。

成立年代も確定していないが、金春流の解説では世阿弥以後の成立と考えられている[16]。同解説は、『言継卿記』に記された1532年(享禄5年)の一条西洞院日吉猿楽勧進能での上演を、伝存する最古の演能記録としている[16]。三重県史関係資料でも、1532年に『阿漕』が上演された記録が紹介されている[17]。

構成と演出

能面「痩男」(東京国立博物館蔵)

前後二場の構成

本曲は前後二場からなる夢幻能である[5][1]。前場では老人の姿をとった阿漕の霊が現れ、阿漕浦の由来と自身の過去を語って中入する[12]。後場では阿漕の亡霊が現れ、生前の漁と地獄で受ける責め苦を再現する[6]。

『能鑑賞案内』は、『阿漕』『善知鳥』などを含む複式夢幻能について、亡霊が僧の前で生前の出来事を演じることが罪障の懺悔・滅罪と結びついていたと説明している[18]。

漁の立回り

後シテは四手網を肩にして登場し、網を舞台上に置く[13]。魚群を見定め、追い込み、網を引き上げる一連の所作が立回りとして演じられる[13]。

立回りの演じ方には流儀や演者による相違がある[13]。魚を探るように見回す、魚群を追って橋掛りへ行く、網を見込む、左右から魚を網へ追い込むといった具体的な所作が用いられる[6]。観世流以外の四流の謡本では、この部分を「カケリ」と記すとされる[13]。

能の働事のうち立回りは、舞台を立ち回る働事で、所作に意味付けのあるものが多く、その形態は一定しないとされる[19]。『阿漕』では、この立回りによって漁のさまが写実的に表現される[6]。

地獄の表現

網を引く場面に続いて、海の波は猛火となり、生前に捕らえた魚は悪魚・毒蛇となって阿漕を責める[6]。さらに紅蓮・大紅蓮の氷や焦熱の炎が詞章に現れ、地獄の責め苦が所作によって表現される[6]。

後シテは氷に身を傷め骨を砕かれ、炎や煙に苦しむさまを激しく演じる[6]。この部分も流儀や演者によって演じ方に相違があり、『能鑑賞案内』は「写実的な型」が展開する演技のしどころとしている[14]。

終曲では、阿漕は旅人に助けを求めたのち、「また波の底に入りにけり」と海中へ去り、常座で留拍子を踏んで終わる[13]。

面・装束と小道具

前シテには朝倉尉・三光尉などの尉面が用いられ、水衣姿の老人として表される[20][1]。後シテは痩男系の面をつけ、黒頭、水衣、無地熨斗目、腰蓑などを用いる[8][1]。

『能の構造と技法』では、痩男系の面・黒頭・水衣などからなる「痩男出立」を、地獄で苦しむ庶民の霊を表す出立とし、『阿漕』『善知鳥』『藤戸』をその用例としている[9]。

小道具として、前場では釣竿、後場では四手網が用いられる[12][1]。四手網は後場の立回りで用いられ、生前の漁を再現する中心的な小道具となっている[13]。

上演と伝承

金春流の解説では、『言継卿記』に記された1532年の一条西洞院日吉猿楽勧進能を、伝存する最古の『阿漕』演能記録としている[16]。三重県史関係資料も1532年に上演記録があることを紹介している[17]。

現在は観世・宝生・金春・金剛・喜多の五流すべてに現行する[2]。能楽協会の曲目データベースでは、観世流では「四・略五」、金春流・宝生流では「四・五」、金剛流・喜多流では「四」とされている[2]。

金春流では金春安照の伝書などに『阿漕』への言及がある一方、江戸時代には金春大夫家の正式演目ではなかったとされる[16]。明治期の金春流謡本の増補分で正式に組み入れられた[16]。

伝本・謡本

慶長年間に刊行された光悦謡本『あこき』。国立国会図書館蔵。

『阿漕』の近世初期の伝本として、慶長年間に木活字で刊行された観世流の光悦謡本『あこき』が現存する[21]。国立国会図書館所蔵本は古活字版の嵯峨本・特製本で、白色獅子丸蔓牡丹模様の雲母摺表紙と、薄緑色の雲母摺本文料紙を用いる[21]。同館の解題では、光悦謡本は慶長年間に刊行された観世流謡本100番100冊からなるものと説明されている[21]。

野上記念法政大学能楽研究所が所蔵する古活字玉屋謡本にも『阿漕』が含まれ、画像が公開されている[22]。同研究所は玉屋謡本を江戸初期刊行の観世流謡本の一つとし、光悦謡本・元和卯月本とともに版行謡本の変遷を考察するうえで重要としている[22]。

観世文庫には、1764年(明和元年)6月22日の年記をもつ一番綴謡本『阿漕』が伝わる[23]。奥書には観世三十郎元長の名と花押があり、東京大学デジタルアーカイブポータルの解題では、十五世観世大夫元章の嫡男・元長による書写とみられている[23]。外題は「安古木」で、全11丁の写本である[23]。同アーカイブには、刊記不明の一番綴刊本『阿漕』も収録されている[24]。

後世への展開

阿漕平治伝説

現代の阿漕浦には、病気の母のために禁漁の海へ網を入れて「やがら」という魚を捕り、忘れた笠を証拠に捕らえられ、海に沈められた孝行息子・阿漕平治(あこぎ へいじ)の伝説が伝わる[25]。しかし、この物語は能『阿漕』そのものの筋ではない[25]。能では「平治」という名、病気の母、ヤガラ、忘れた笠といった要素は語られておらず、津市は、後世の伝説の基礎は備わっているものの、この段階では孝子伝説にはなっていないとしている[25]。

江戸時代には阿漕の密漁譚が浄瑠璃などに取り入れられ、改編・脚色されていった。三重県史関係資料によれば、1676年(延宝4年)原作の古浄瑠璃『あこぎの平治』では、生活に窮した漁師の平治が密漁する物語となっている[17]。

1741年(寛保元年)9月に大坂・豊竹座で初演された人形浄瑠璃『田村麿鈴鹿合戦』では、その四段目に阿漕浦の物語が取り入れられた[26]。この四段目はのちに独立して『勢州阿漕浦』と改題された。『世界大百科事典』によれば、従来は1808年(文化5年)の大坂での上演をその時期とする説があったが、より早い1798年(寛政10年)正月に江戸・土佐座で『祇園祭礼信仰記』の付け物として上演された例がある[26]。

普通語の「あこぎ」

「阿漕」は、阿漕浦をめぐる伝説や古歌を背景として普通語の「あこぎ」にも転じた[14][15]。『日本国語大辞典』は、「たび重なること、また、たび重なって広く知れわたること」と、「どこまでもむさぼること、しつこくずうずうしいこと、押しつけがましいこと」の二系統の語義を挙げている[15]。

同辞典の語誌では、阿漕浦の伝説からまず「たび重なる」の意が生じ、江戸初期以降に「図々しい」「強引」といった否定的意味が派生したと説明されている。また、この意味の定着について、謡曲『阿漕』、御伽草子『阿漕の草子』、浄瑠璃『田村麿鈴鹿合戦』などで神宮の領域を犯す行為として描かれたこととの関係を指摘している[15]。

脚注

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 “阿漕:詳細データ”. 能・演目事典. the能.com. 2026年10月7日閲覧。
  2. 1 2 3 “阿漕(あこぎ)”. 能楽百科. 公益社団法人能楽協会. 2026年10月7日閲覧。
  3. 1 2 横道, 西野 & 羽田 1987, p. 296.
  4. 1 2 3 横道 2007, 「阿漕」.
  5. 1 2 小山 1989, pp. 363–366.
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 小山 1989, pp. 365–366.
  7. 1 2 小山 1989, p. 341.
  8. 1 2 小山 1989, pp. 340–342.
  9. 1 2 横道 1987, p. 255.
  10. ↑ 小山 1989, pp. 363–364.
  11. 1 2 3 4 5 6 7 小山 1989, p. 364.
  12. 1 2 3 4 小山 1989, pp. 364–365.
  13. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 小山 1989, p. 365.
  14. 1 2 3 4 5 6 7 小山 1989, p. 366.
  15. 1 2 3 4 5 6 7 日本国語大辞典 2000, 「あこぎ【阿漕】」.
  16. 1 2 3 4 5 6 後藤和也. “演目くわしく 阿漕”. 能楽金春流情報サイト 金春ニュース. 2026年10月7日閲覧。
  17. 1 2 3 小坂宜広. “伊勢参宮名所図会「阿漕浦の図」”. 三重の文化. 三重県. 2026年10月7日閲覧。
  18. ↑ 小山 1989, p. 363.
  19. ↑ 横道 1987, pp. 346–347.
  20. ↑ 小山 1989, pp. 341–342.
  21. 1 2 3 “[光悦謡本] あこき”. 国立国会図書館サーチ. 国立国会図書館. 2026年10月7日閲覧。
  22. 1 2 “古活字玉屋謡本”. 能楽貴重資料デジタルコレクション. 法政大学能楽研究所. 2026年10月7日閲覧。
  23. 1 2 3 “江戸中期写一番綴謡本「阿漕」”. 東京大学デジタルアーカイブポータル. 東京大学. 2026年10月7日閲覧。
  24. ↑ “刊期不明一番綴謡本「阿漕」”. 東京大学デジタルアーカイブポータル. 東京大学. 2026年10月7日閲覧。
  25. 1 2 3 “阿漕平治の伝説と史跡”. 津市. 2026年10月7日閲覧。
  26. 1 2 横山 2007, 「勢州阿漕浦」.

参考文献

  • 横道萬里雄、西野春雄、羽田昶『能の作者と作品』 3巻、岩波書店〈岩波講座 能・狂言〉、1987年。ISBN 4-00-010293-1。 
  • 横道萬里雄『能の構造と技法』 4巻、岩波書店〈岩波講座 能・狂言〉、1987年。ISBN 4-00-010294-X。 
  • 小山弘志 編『能鑑賞案内』 6巻、岩波書店〈岩波講座 能・狂言〉、1989年。ISBN 4-00-010296-6。 
  • 横道萬里雄「阿漕」『世界大百科事典』 1巻(改訂新版)、平凡社、2007年。ISBN 978-4-582-03400-4。 
  • 横山正「勢州阿漕浦」『世界大百科事典』 15巻(改訂新版)、平凡社、2007年。ISBN 978-4-582-03400-4。 
  • 日本国語大辞典第二版編集委員会 編「あこぎ【阿漕】」『日本国語大辞典』 1巻(第2版)、小学館、2000年。ISBN 4-09-521001-X。 

関連項目

外部リンク