| 時代 | 戦国時代 |
|---|---|
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 永禄6年(1563年) |
| 別名 | 胤清、胤治、太郎右衛門 |
| 官位 | 信濃守 |
| 主君 | 相馬顕胤、盛胤 |
| 氏族 | 青田氏 |
| 父母 | 青田常久 |
| 兄弟 | 常義、顕治 |
| 子 | 胤治ら |
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大永5年(1525年)、白戸館の戦いで兄の常義が戦死したため家督を継いだ。
天文12年(1543年)、黒木氏一族を誅殺するも木幡盛清と対立し、主君の盛胤に讒言したのちに草野直清と結んで謀反を起こした。
永禄6年(1563年)には伊達晴宗に呼応して再び直清と謀反を起こした。盛胤は直ちに出陣し黒木城を攻撃。これに耐えきれず戦死したとも、田村清顕のもとに次男の胤治と共に落ち延びたともされる[1]。
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