頴川史郎

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えがわ しろう
頴川 史郎
生誕 (1922-10-30) 1922年10月30日
日本の旗 日本・長崎県
死没 (2007-03-04) 2007年3月4日(84歳没)
墓地 鎌倉霊園
出身校 東京大学経済学部経済学科
職業 銀行家
配偶者 頴川章子
親 頴川忠治・ムツ
栄誉 藍綬褒章
勲二等旭日重光章[1]
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頴川 史郎(えがわ しろう、1922年(大正11年)10月30日 - 2007年(平成19年)3月4日)は、日本の銀行家。日本債券信用銀行頭取を務めた。

来歴・人物

頴川忠治・ムツの長男として長崎県に生まれる。頴川は珍しい苗字だが、先祖は寛永年間の初めに中国から長崎に亡命か移住し、のちに唐通事を務めたと父から聞かされた[2]。

十八銀行に勤務した父が朝鮮総支配人兼京城支店長を務めていた関係で、京城南山中、京城中に1年までいて、長崎中学、旧制五高を経て東京大学経済学部経済学科に進む[3]。在学中、学徒出陣し、1945年見習士官で復員した。渡辺哲也(九州電力社長)は五高時代の同級生で親友[4]。

兵隊から帰って、色々考えた結果、小学校の先生になろうと決意するが父が猛反対。大喧嘩になり、先生にもならなかったが、同時に働く気もなくし、2年間ぐらいぶらぶらした。そんなとき、大学からあと8単位取れば卒業させると連絡があり、この際だからついでに就職も決めようと上京。1947年日本興業銀行へ入行した[1]。中村金夫(興銀頭取)、中井武夫(日産化学社長)は入行同期[5]。

日債銀に移籍

福岡支店[6]、広島支店次長などを経て、1964年11月に日本不動産銀行(のちの日本債券信用銀行)に出向。業務部次長、総務部長などを務めるうちに勝田龍夫の目に留まり、不動産銀行に移籍[7]。以来、新設の業務推進部長、業務開発室長、頭取室長などを委嘱され、この間、1970年11月に取締役に選任。常務、副頭取を経て[7]、1982年11月に頭取に就任した[1]。

頭取に就任早々「今の時代はお客さんを店頭で待っていては営業はできない。本部は血を流せ」と激を飛ばし、本部要員の削減と東京営業所の増強策を打ち出した[8]。この第一線重視の考え方はその後も変わらず、1985年4月にも顧客指向・徹底した現場重視、国際業務、証券業務などの戦略部門強化を狙って、大規模な組織改革を実施した[8]。

1987年12月、創立30周年の区切りとして、代表権のある会長に退き、頭取には松岡誠司副頭取が昇格した[8]。1992年6月相談役[1]。

日債銀の経営破綻後

1997年3月、経営不安説が流布されていた日債銀は、米バンカーズ・トラストとの提携などリストラ策を打ち出し、その一環で相談役制度を廃止。頴川と会長を経て相談役に退いていた松岡は、相談役を退任した[9]。1998年日債銀は経営破綻。その後、国有化された日債銀は2000年9月にソフトバンク、オリックス、東京海上火災保険に譲渡された[10]。日債銀破綻後に日債銀の不良債権を引き継いだ整理回収機構は、2001年9月、頴川ら旧経営陣11人の民事責任を追求し、45億円の損害賠償を提訴した[10]。2004年5月、東京地裁は頴川ら旧経営陣に40億円の支払いを命じる判決を下し、2005年12月に東京高裁で合計2億円を支払うことで和解が成立した(頴川は4000万円、松岡ら8人が1億6000万円)[11]。さらに、日債銀は損害賠償訴訟とは別に、頴川の退職金約6億円など旧経営陣16人に対して総額19億円の退職金の自主的返還も要請し、2001年1月現在で約2億5000万円が返還された[12]。

2007年3月4日、病気のために死去[13]。84歳没。墓所は神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園内にある永代供養墓ふじみ。

親族

  • 父・忠治 - 十八銀行朝鮮総支配人兼京城支店長、佐世保支店長などを歴任[2]。
  • 母・ムツ
  • 妻・章子 - 材木商だった関巌の娘[3]。
  • 子・二女

脚注

  1. 1 2 3 4 人事興信所 1997, え19頁.
  2. 1 2 社長の私生活 7 1983, p. 126.
  3. 1 2 社長の私生活 7 1983, p. 127.
  4. ↑ 「渡辺哲也さん逝く 塩月修一のぞある記」『経営コンサルタント』1991年12月号
  5. ↑ 塩月 1991, p. 201.
  6. ↑ 社長の私生活 7 1983, p. 131.
  7. 1 2 「素顔 頴川史郎(日本不動産銀行副頭取)」『金融界』1976年2月号
  8. 1 2 3 「グローバル・ファイナンシャル・エンジニア」を目指す日債銀」『財政金融ジャーナル』1988年3月号
  9. ↑ 「金融レポート3 都長銀各行の元トップ達がピンチ!!リストラ計画で〝聖域〟にメス 廃止ムード高まる相談役制度」『銀行時評』1998年5月号
  10. 1 2 企業不祥事事典―ケーススタディ150 2007, p. 65.
  11. ↑ 企業不祥事事典―ケーススタディ150 2007, p. 65 - 66.
  12. ↑ 企業不祥事事典―ケーススタディ150 2007, p. 66.
  13. ↑ 日本経済新聞夕刊 2007年3月4日 p17

参考文献

  • 日刊ゲンダイ 編『社長の私生活 7』東都書房〈日刊ゲンダイbook〉、1983年7月。ISBN 978-4886680075。 
  • 塩月修一『銀行首脳部 彼らの頭の中、胸の内、下半身』イースト・プレス、1991年1月。ISBN 978-4900568211。 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第39版 上』人事興信所、1997年。 
  • 齋藤憲(監修)『企業不祥事事典―ケーススタディ150』日外アソシエーツ〈日外選書Fontana〉、2007年7月。ISBN 978-4816920615。