鳥居忠博

ウィキペディアから、無料の百科事典
鳥居忠博

鳥居 忠博(とりい ただひろ、1897年(明治30年)11月28日[1] - 1976年(昭和51年)3月25日[1][2])は、大正から昭和期の実業家・政治家・華族。貴族院子爵議員。

経歴

旧壬生藩主、子爵・鳥居忠文の五男として生まれ、長兄鳥居忠一が京王線に衝突した自動車事故で死去したことで、1939年(昭和14年)2月15日、子爵を襲爵した[1][3][4][5]。

学習院を経て[4]、1923年(大正12年)東京帝国大学経済学部を卒業[2][3]。三井物産に入社。三洞運輸監査役などを務めた[2][3]。

1946年(昭和21年)8月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6]、研究会に属して活動し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。

親族

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 『平成新修旧華族家系大成 下巻』205-206頁。
  2. 1 2 3 4 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』49頁。
  3. 1 2 3 『人事興信録 第14版 下』ト67頁。
  4. 1 2 3 『華族畫報 下』650頁。
  5. ↑ 『官報』第3633号、昭和14年2月16日。
  6. ↑ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
鳥居忠一
子爵
(壬生)鳥居家第3代
1939年 - 1947年
次代
華族制度廃止