円栄

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紀 円栄(き の えんよう、生没年不詳〈13世紀〉)は、鎌倉時代中期の紀氏出身の祇園社(現・八坂神社)執行。官位は法印、また、権長吏。

祇園社(感神院)における社僧として初めて法印の僧位に叙せられた人物であり、重要社領であった備後国小童保(ひちのほう/こわらわのほう)の保司職を巡る相論を経て、弟子である顕尊へ権益と古文書群を伝領した。古典文学『とはずがたり』にも「執行権長吏法印ゑんやう」として登場し、後深草院二条の求めに応じて社頭での祈祷(祝詞)を執り行ったことが記されている。また、南北朝時代初期に足利尊氏の御師を務めた祇園社務執行・顕詮の曾祖父にあたる。

生涯・事績

出自と系譜

幼名は三郎。祇園社務執行を代々世襲した紀氏(行円の血統)の出身。賢円(曽祖父・権長吏)― 実円(祖父・権長吏)― 康円(父/叔父)の血統に連なり、康円の娘である紀氏田房女(田房女)の養子(または譲渡を受けた者)となった[1]。

当初は「円栄法橋」と称していたが、後述の通り祇園社正殿遷宮の功績によって法印へ昇進し、「法印円栄」または「円栄法印」と称した。

師資相承(法統・権益の継承)の系譜においては、円栄の権利と古文書群は弟子(附弟)の顕尊、さらに顕円へと受け継がれ、南北朝時代初期に足利尊氏の御師・祈祷人となった祇園社務執行・顕詮へと伝領された。[1][2]。

備後国小童保の保司職継承

備後国小童保は、承徳2年(1098年)に白河上皇(または堀河上皇)により祇園社へ寄附された日別御供用途料所である。

建保4年(1216年)に祇園社僧の康円が没した際、その保司職は娘の田房女に譲られたが、康円の弟である忠円(大別当)との間で押領・相論が発生した。田房女が梶井僧正に正統性を訴えて補任されたが、それで小童保の支配権をめぐる一族内の紛争が絶えなかったため、田房女は貞応年間(1222年頃)の譲状に基づき、円栄へ小童保を譲与(一向附属)した[3]。

文暦2年(1235年)1月17日、感神院政所下文により正式に小童保司職へ補任され、同年2月17日には感神院別当法印公性の御教書によって領掌が下知された[3]。

神殿触穢と法印叙任(当社社僧法印の始)

建治3年(1277年)12月、神殿触穢(穢れ)に伴い、備後国・阿波国の両国の所税を充てて穢所などの造替と正殿遷宮が遂行された[4]。

この遷宮における功績(勧賞)として、当初は上北面に準じて「堂上(昇殿の資格)」を許す旨が宣下されたが、円栄本人の強い希望(所望)により堂上を辞退し、代わりに法印の僧位(当時の書札例で四位殿上人に准ずるとされる。)へ叙せられた。これが祇園社(感神院)における社僧の法印叙任の始まり(「是当社社僧法印始也」)となった[4]。

『八坂神社記録 4』には、法印叙任の経緯について以下の通り記述されている[4]。

【原文】
「建治三年十二月、依神殿觸穢、被寄備後阿波兩國之所税、被造替穢所等、被遂遷宮之時、被行勸賞、圓榮法眼〔會顯註:禪師〕准上北面可被許堂上之由、雖被仰下、爲下依所望被叙法印畢。是當社々僧法印始也。」

【現代語訳】
建治3年(1277年)12月、神殿触穢(穢れ)により、備後・阿波両国の所税が寄進されて穢れた箇所の造替等が行われ、遷宮が遂行された際、恩賞(勧賞)が行われた。円栄法眼〔会顕による注:禅師〕に対し、上北面に準じて堂上(昇殿)を許す旨が宣下されたものの、円栄自身の希望によって法印に叙せられた。これが当社の社僧が法印に叙せられた始まりである。

『とはずがたり』における記述

鎌倉時代後期の自伝的回想録『とはずがたり』(巻三)には、「執行権長吏法印ゑんやう(円栄)」として登場する[5]。

作者である後深草院二条が祇園社に参籠していた際、二月の初午の日、二条は円栄に対して布施として紅梅の単衣と薄衣を贈り、自らの祈願のための祝詞(祈祷)を奏上させた[5]。

晩年と後継への継承

建長8年(1256年)7月7日には勝円らへの譲渡に関する契状(「円栄法印契状」)を発給した。

その後、弘安元年(1278年)8月15日、老邁(高齢)と病気を理由に「法印円栄書状(譲状)」を発給し、祇園長日御供領である備後国小童保や坊地・所職・社家文書の一切を、弟子(円栄の女婿)である顕尊(顕尊法眼)へ譲与・附属した。

円栄の没後、小童保の権利を巡って勝円の系統と顕尊の系統との間で相論が生じたが、正安3年(1301年)の後深草上皇院宣案などの裁判裁定において、円栄が生前に結んだ契状や譲状の経緯が重要な証拠・根拠として参照された[6]。

脚注

  1. 1 2 『新編 八坂神社記録』「執行系図」827頁
  2. ↑ 『新修八坂神社文書(中世篇)』8号「足利直義下知状写」111頁
  3. 1 2 『八坂神社記録 続録第八』「感神院政所下文」
  4. 1 2 3 『八坂神社記録 4』「雑纂第一」61頁
  5. 1 2 『とはずがたり』巻三
  6. ↑ 『八坂神社記録 続録第八』「後深草上皇院宣案」

参考文献

  • 『八坂神社記録』(第4巻・続録第八)
  • 『新編 八坂神社記録』
  • 『新修八坂神社文書(中世篇)』
  • 『とはずがたり』