富川FC 1995
| 富川FC 1995 | |||
|---|---|---|---|
| 原語表記 | 부천 1995 축구단 | ||
| クラブカラー |
赤 黒 | ||
| 創設年 | 2007年 | ||
| 所属リーグ | Kリーグ1 | ||
| ホームタウン | 京畿道富川市 | ||
| ホームスタジアム |
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| 収容人数 | 35,456 | ||
| 運営法人 | 株式会社富川FC 1995 | ||
| 代表者 |
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| 監督 |
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| 公式サイト | 公式サイト | ||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |||
富川FC 1995(プチョンFC 1995、朝鮮語: 부천 FC 1995、英語: Bucheon FC 1995)は、大韓民国の京畿道富川市をホームタウンとするプロサッカークラブである。ホームスタジアムは富川総合運動場。
歴史
以前、富川市をホームとするクラブとして「富川油公コッキリ」が存在していた。もとはソウル特別市の東大門運動場をホームとして活動していた「油公コッキリ」というクラブだったが、韓国プロサッカー連盟と大韓民国政府が2002 FIFAワールドカップ招致に向けて実施した「ソウル縁故空洞化政策」により、1996年から富川市にホームタウンを移転することとなり、クラブ名にも富川の名が冠された[1][2]。1997年10月には、親会社の社名変更に伴い「富川SK FC」に改称された[3]。移転当初は富川市内にKリーグを開催できるスタジアムが存在しなかったためソウル特別市の木洞運動場でホームゲームを行っていたが、2001年にホームスタジアムとなる富川総合運動場が竣工し、名実ともに富川市のクラブとなった。しかし2006年2月2日、富川SK FCは突如として済州特別自治道にホームタウンを移転し「済州ユナイテッドFC」として活動すると発表[4][5]、富川市は「この10年間あらゆる支援を行ってきたが、クラブからはホームタウン移転に関する連絡は当日の午前まで一切なく困惑している」と抗議声明を発表し、富川SK FCのウルトラスである「ヘルメス」やサッカー大韓民国代表の公式サポーター集団「プルグンアンマ」、「Kリーグ加盟クラブサポーターズ連合」も猛反発、「ホームタウン移転緊急対策委員会」を結成してSKグループに対する不買運動や応援ボイコット、反対デモを行うまでに発展した[6][7][8][9][10][11]が、決定が覆ることはなかった。こうしてホームクラブを失うこととなったヘルメスらサポーターが中心となって設立したのが富川FC 1995である[12]。クラブ名の1995はヘルメスが設立された1995年に由来する[12]。
2006年3月、「新しい富川サッカークラブ創設市民の会」が発足、ナショナルリーグ加盟を目指して新クラブの創設に動き出したが、財政的な問題を抱える富川市からの支援を引き出せず計画は難航、この間に新たなアマチュアリーグとして(旧)K3リーグが2007年から発足することを受け、K3リーグ参入に照準を変更した。2007年夏、SKエナジーなどから支援を引き出し、11月1日には富川市とホームタウン協定を締結、12月1日に創団式を挙行した[13][14][15]。初代監督には富明情報産業高校サッカー部監督のクァク・チャンギュを招聘、選手団は江南TNT FCのAチームとセレクションを通過した選手によって構成された[12][16]。
K3リーグ/チャレンジャースリーグに2008年から2012年まで参戦し、Kリーグが2部制に移行した2013年にKリーグに加盟、2部リーグのKリーグチャレンジに参戦した。2025年、Kリーグ2の3位で昇格・降格プレーオフに出場、水原FCに勝利し、2026年からKリーグ1へ初めて昇格する。
当クラブと同様にホームタウン移転に反発したサポーターによって設立されたクラブであるイングランドのAFCウィンブルドンと2008年に提携を結んでおり、また、資本家によるクラブ買収に反発したサポーターによって設立されたクラブであるイングランドのFCユナイテッド・オブ・マンチェスターとは2009年に親善試合を行った[17][18]。
過去の成績
| シーズン | ディビジョン | 韓国FAカップ | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||
| 2013 | Kチャレンジ | 35 | 8 | 9 | 18 | 45 | 61 | 33 | 7位 | 2回戦敗退 |
| 2014 | Kチャレンジ | 36 | 6 | 9 | 21 | 33 | 52 | 27 | 10位 | ベスト32 |
| 2015 | Kチャレンジ | 40 | 15 | 10 | 15 | 43 | 45 | 55 | 5位 | ベスト32 |
| 2016 | Kチャレンジ | 40 | 19 | 10 | 11 | 49 | 33 | 67 | 3位 | 準決勝敗退 |
| 2017 | Kチャレンジ | 36 | 15 | 7 | 14 | 50 | 46 | 52 | 5位 | ベスト16 |
| 2018 | Kリーグ2 | 36 | 11 | 6 | 19 | 37 | 50 | 39 | 8位 | 3回戦敗退 |
| 2019 | Kリーグ2 | 36 | 14 | 9 | 13 | 49 | 51 | 51 | 4位 | 3回戦敗退 |
| 2020 | Kリーグ2 | 27 | 7 | 5 | 15 | 19 | 36 | 26 | 8位 | 2回戦敗退 |
| 2021 | Kリーグ2 | 36 | 9 | 10 | 17 | 32 | 53 | 37 | 10位 | 3回戦敗退 |
| 2022 | Kリーグ2 | |||||||||
| 2023 | Kリーグ2 | |||||||||
現所属メンバー
- 2026年3月14日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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期限付き移籍
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
歴代所属選手
GK
權正赫 2016
DF
MF
FW
ロドリゴ・パラナ 2014-2015
ルキアン 2015-2016
ワギニーニョ 2016-2017
丁成勳 2017
ウィリアン・ポッピ 2018
ロドリゴ・マラニョン 2019
ジェフェルソン・バイアーノ 2020
クリスラン 2021
脚注
- ↑ “유공 연고지 부천으로”. ハンギョレ. 1996年1月5日. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ “서울연고공동화정책은 청와대의 강제 지시”. zxnmbvc (2010年4月6日). 2026年8月8日閲覧。
- ↑ “부천유공,부천SK로 변경”. ハンギョレ. 1997年10月2日. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ “[프로축구]프로축구 부천 SK 연고지 제주로 옮겨”. 東亜日報. 2006年2月3日. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ “부천SK 연고지 제주로 이전”. 京郷新聞. 2006年2月2日. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ “부천 축구팬 충격 "SK프로축구단,부천시대 안녕"”. 富川タイムズ. 2006年2月2日. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ “'연고 이전 악연' 부천-제주, 26일 K리그2 첫 맞대결”. 聯合ニュース. 2020年5月25日. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ “K리그 서포터스 ‘SK 이전 반대 비대위’ 구성”. 韓国放送公社. 2006年2月6日. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ “연고이전 반대 비상대책위 기자회견(2006.2.8)”. walk around (2011年1月28日). 2026年8月8日閲覧。
- ↑ “부천SK 연고지이전 후 준비한 성명서 및 축구팬에 대한 제안”. walk around (2011年10月15日). 2026年8月8日閲覧。
- ↑ “연고이전 반대 거리시위(2006.2.14)”. walk around (2011年1月28日). 2026年8月8日閲覧。
- 1 2 3 “부천 시민구단, '부천 FC 1995' 로 창단”. OSEN. 2007年10月24日. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ “부천FC 출범 "축구 발전 자양분 될터"”. インサイト. 2007年11月6日. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ “다시 부활한 '부천1995'”. オーマイニュース. 2007年12月3日. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ “어렵게 성사시킨 부천FC - 부천시의 연고지 협약”. walk around (2011年11月30日). 2026年8月8日閲覧。
- ↑ “[부천FC 1995] '우리는 부천FC로 갑니다.'”. ihhry198496 (2007年11月21日). 2026年8月8日閲覧。
- ↑ “부천 FC 1995 BUCHEON FOOTBALL CLUB 1995”. Kリーグ. 2014年4月28日. 2014年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2026年8月8日閲覧.
- ↑ ““상업주의 빠진 맨유, 축구 기본정신 저버려””. 京郷新聞. 2009年7月16日. 2026年8月8日閲覧.