アグワン・ドルジェフ

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アグワン・ドルジェフ

アグワン・ドルジェフ(英: Agvan Dorjiev、露: Агва́н Лобса́н Доржи́ев、ブ: Доржиин Агбан、チベット文字:ངག་དབང་བློ་བཟང་རྡོ་རྗེ་; ワイリー方式:ngag dbang blo bzang rdo rje、1854年 - 1938年)は、ブリヤート人のチベット仏教僧。日本ではドルジェフと呼ばれることが多いが、ドルジーエフとも表記される[1]。

経歴

ダライ・ラマ13世の教師であり、外交面においては「ロシアこそシャンバラである」と主張しロシア帝国寄りの姿勢をとった。

1913年、チベット・モンゴル相互承認条約をチベット側の代表として締結した。 スターリン政権下の1937年、モンゴルおよび日本のスパイ容疑で逮捕され、翌1938年に獄中死。

脚注

  1. ↑ 棚瀬慈郎 『旅とチベットと僕』 講談社、2013年、235頁。

参考文献

関連項目

外部リンク