アルムシュ

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アルムシュ
Almış
ヴォルガ・ブルガールの支配者
(エルテベル(英語版))
アミール
在位 9世紀末 - 10世紀初頭

出生 不明
死去 925年?
父親 シルキ(英語版)
宗教 イスラム教スンニ派
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アルムシュ (アラビア語:ألمش بن يلطوار) は、ヴォルガ・ブルガールの支配者。また同国最初のイスラム指導者 (アミール) 。

生涯

歴史書『カグフェル・タリーシュ(英語版)』によれば、アルムシュはシルキ(英語版)の次男であると考えられ、兄バト・ウギールの後を継いでヴォルガ・ブルガールの統治者となり、895年ごろから925年ごろまで務めたとされる。また、同書ではアルムシュをハンガリー・アールパード朝の初代ハンガリー大公アールパードの父アールモシュと同一視する記述もみられる。この点については、名称や活動時期の類似性がある上、ブルガール人とハンガリー人はその起源においてフン族、オノグル族(英語版)といった共通要素を持つことから一定の整合性はあるものの、真偽は不明である。

当初のアルムシュは、ハザール王国の属国としてのヴォルガ・ブルガールの統治者 (エルテベル(英語版)) であり、その治世中にブルガール人の完全な独立および統一を目指した。その一環として、ヴォルガ・ブルガールにイスラームを取り入れようと考え、バグダッドのアッバース朝カリフ・ムクタディルに使節を送った。922年、カリフの使節アフマド・イブン・ファドラーンがブルガールに到着し、アルムシュと会談。ヴォルガ・ブルガールとアッバース朝の同盟が結ばれた。

アルムシュはイスラム名ジャアファル・イブン・アブダッラー (タタール語ラテン文字:Cäğfär bine Ğabdulla、アラビア文字:جعفر ابن عبدالله) を取り入れ、イスラム教を国教化した。強力な同盟者を得たヴォルガ・ブルガールは統一感を増し、より強力で独立した国家へ発展していった。

アフマド・イブン・ファドラーンはアルムシュの家族についても言及しており、娘二人がそれぞれハザール、エセゲル(英語版)の支配者に嫁いだほか、息子の一人にはアフマド・イブン・ファドラーンにちなんで「アフマド」と名付けている。おそらく925年ごろにアルムシュが死去すると、息子のハサンが後を継いだ。

なお、アフマド・イブン・ファドラーンはその記録においてアルムシュを「サカーリバの王」と表現している[1]。

関連項目

脚注

  1. ↑ Richard Frye, Ibn Fadlan's Journey to Russia, 2005, page 44

参考文献

  • (タタール語)“Almış/Алмыш”. Tatar Encyclopedia. Kazan: Tatarstan Republic Academy of Sciences Institution of the Tatar Encyclopaedia. 2002.
  • Frye, R., Ibn Fadlan's Journey to Russia, Princeton, 2005.
  • Golden, P. B., An Introduction to the History of the Turkic Peoples, Wiesbaden, 1992.
  • Golden, P. B., "Nomads of the western Eurasian steppes: Ogurs, Onogurs and Khazars, in: H. Roemer et al. (eds.), Philologiae Turcicae Fundamenta, III, Berlin, 2001: 282-302.
  • Kovalevskij, A. P., Kniga Ahmeda ibn-Fadlana o ego putešestvii na Volgu v 921-922 g., Har'kov, 1956.
  • Montgomery, J. (trans.), Ahmad Ibn Fadlan, Mission to the Volga, New York, 2017.
  • Nurutdinov, F., et al. (eds.), Bahši Iman, Džagfar tarihy, vol. 1, Orenburg, 1993.