イスラム庭園

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フィーン庭園。イランのカーシャーンにあり、サファヴィー朝の君主アッバース1世がc. 1587年に造営した[1]

イスラム庭園(イスラムていえん)は、水や日陰を取り入れた庭園である。代表的な様式の一つに、庭園を水路や通路で四つに区切る「チャールバーグ」(chahār bāgh)がある。散策を重視することの多いイングリッシュガーデンに対し、イスラム庭園では休息や思索のための空間づくりが重視されてきた。また、水や香りのある植物を用いて、視覚、聴覚、嗅覚などを楽しめるよう工夫されている。

イスラム教が乾燥地帯以外の地域にも広がる以前から、こうした庭園は暑く乾燥した環境で涼を得る場所として利用されてきた。その形態や用途は多様であり、現在では失われたものも多い。クルアーンには庭園についての記述が数多くあり、信仰者に約束された楽園での生活を地上で表すものとして描かれている。

アッラーは、信仰する男たちと女たちに、その下を川が流れる庭園を約束された。彼らはそこに永遠にとどまり、永遠の住まいである庭園に良き住居を得る。そして何よりも、アッラーの御満悦こそが偉大な成功である。―クルアーン9章72節

イスラム庭園は楽園の象徴とされる一方、富、権力、領土、快楽、狩猟、余暇、愛、時間、空間など、宗教とは直接関係しない意味も持ってきた。こうした意味は、庭園が静かな思索や内省の場であったこととも結び付いている。

イスラム庭園の多くは現存しないが、研究者は庭園を扱ったアラビア文学やペルシア文学から、その姿や役割について多くのことを推定してきた。形式的なイスラム庭園は、西のスペインやモロッコから東のインドに至る広い地域に現存している。[2] どの庭園をイスラム庭園の伝統に含めるべきかについては、歴史家の間でも見解が分かれている。この庭園文化は数世紀にわたってアジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸に広がった。

建築様式と影響

インドのデリーにあるフマーユーン廟(1565年)。庭園を四つの区画に分ける軸線構成が見られる。

7世紀にアラブ人が各地を征服した後、伝統的なペルシア式庭園の様式が多くのイスラム庭園に取り入れられた。ペルシア式庭園は伝統的に壁で囲まれていた。囲まれた空間を意味するペルシア語のpairi-daezaは、楽園庭園という概念にもつながっている。[3] 庭園の設計にはヘレニズムの影響も見られる。直線を使った庭園計画の一部には、サーサーン朝の装飾的な植栽や噴水の様式も取り入れられている。[4]

代表的な庭園様式の一つであるチャールバーグ(chahār bāgh)は、一般に水路や通路によって四つの区画に分けられる。実際の設計にはさまざまな形があった。[5] 一つの形式では、樹木を植えた区画を周囲より低く掘り下げ、見る人の目線からは樹木が周囲の地面と同じ高さに見えるようにした。[5] また、四区画が交わる中央に中庭を設け、そこやその周囲に池を配置する形式もあった。[5] チャールバーグはイスラム庭園を代表する様式として知られているが、実際に造られた例は比較的少ない。建設費が高かったことや、維持できる資力を持つ上流階級のために造られることが多かったことが、その理由として考えられる。[5] 主な例として、イラクのサーマッラーにあった旧ブルクワーラー宮殿や、スペインのコルドバ近郊にあるメディナ・アサーラが挙げられる。[6][7]

アフガニスタンのカーブルにあるバーブル庭園(1528年)。斜面に沿って段状に造られている。

チャールバーグの構成は、時間や変化に抗う「回転する時間の車輪」にたとえられることがある。[8] この時間観では、人間が車輪や空間の中心に置かれる。そこには、絶え間ない再生や、庭園が衰退とは対照的な場所であるという考えが表れている。[8] 壁に囲まれた庭園は、内部のものが時間の経過によって損なわれない恒久的な空間とされ、この世の通常の時間から切り離された領域を表す。[8] 時間の循環の中心にいる人間は、そこから解放された後、最終的に永遠へと至ると解釈される。[8]

庭園は宮殿だけでなく、ほかの施設にも造られた。コルドバのメスキータには、果樹園のように果樹を列状に植えた庭園が中庭に設けられている。[5] 近くの水道橋から水を引き、日陰を作るとともに、モスクの管理者に果実を供給していた可能性がある。[5] 別の形式として、段状のテラスを設け、中央の軸線に沿って水を流す庭園がある。水は段ごとに音を立て、景観に動きを与えた。また、その水流を噴水に利用することもできた。[5] 段状のテラスを持つ庭園の例として、シュリーナガルのシャーラマール庭園、バーブル庭園、メディナ・アサーラが挙げられる。[5]

要素

イスラム庭園では、庭園内での体験を豊かにするため、複数の感覚や精神に働きかける工夫が施されてきた。代表的なものに、水の利用方法や香りのある植物の植栽がある。[9]

アラビア語やペルシア語の文学作品からは、人々が歴史的にイスラム庭園とどのように関わってきたかを知ることができる。地上における楽園の表現として、庭園は詩人が生命のあり方や美しさについて考える場となった。イスラム庭園を題材とした詩では水がよく取り上げられ、半貴石や、愛する女性・男性の姿にたとえられている。[10] 詩人たちは、音、視覚、香りなど複数の感覚を通じて、庭園の形として捉えにくい性質を表現した。庭園の音や景色、香りは、砂漠のような乾燥地帯に暮らす人々に、日常の気候を超えた体験をもたらした。[11] こうした文学や詩は、水や植物が宗教的・象徴的・実用的な意味を持っていたことを研究する手がかりとなる。

水

水は庭園の景観設計に欠かせない要素であり、さまざまな感覚に働きかけてきた。水に触れたり、水面に映る景色を眺めたり、静止した空間に水の動きを取り入れたりすることで、視覚、聴覚、身体感覚が刺激された。イスラム庭園の中央に池や噴水を置く構成は、イスラム世界における水の重要性を示している。

タージ・マハル(1632年)の前に設けられた水路

イスラム教は砂漠地帯で生まれた。そのため、水への渇望と感謝はイスラム文化の中で重要な意味を持つ。クルアーンでは、楽園を構成する要素として川が繰り返し登場し、雨や泉についても数多く言及されている。水はイスラム世界の根本的な要素とされ、クルアーン31章30節には「神は水をほかのいかなる被造物よりも重視し、創造の基礎とされた。神は『われらは水からあらゆる生き物を作った』と言われた」と記されている。水は、神が人間に求める徳性を表すものでもある。預言者物語集『預言者たちの物語』のアル=キサーイーの記述には、「水に『静まれ』と告げると、水は神の命令を待ちながら静まった。これは、汚れも泡も含まない水である」とある。水面に映る自分や周囲の景色を眺めることは、信仰者が水の静けさと清らかさを感じる機会となった。水が持つ宗教的な意味は、イスラム庭園での体験にも影響している。[11]

水は精神的な体験だけでなく、身体や心を清め、疲れを癒やす役割も担っていた。庭園が造られることの多かった暑く乾燥した地域では、水は涼を得るためにも使われた。そのため、水に触れたり、水の近くで過ごしたりすることを目的に庭園を訪れる人もいた。[3]

反射池は、建物の姿を水面に映すように配置され、屋外と屋内の空間を視覚的につないだ。[9] 水面に映る建物によって、建物が実際よりも大きく見え、厳粛さや格式が強調された。噴水から広がる波紋や、日光を受けてきらめく水面も、反射の効果を高めた。[9] 建物、植物、空が水面に映ることで、壁に囲まれた庭園は実際より広く感じられる。水が楽園と結び付けられてきたことから、こうした視覚効果も、庭園を訪れる人の精神的な体験に関わっていた。

水は、壁に囲まれた庭園に動きや音を加えるためにも使われた。[9] アラビア語で楽園の泉を意味するサルサビールと呼ばれる噴水は、中世のイスラム宮殿や邸宅で広く見られる。静けさを感じさせる池とは異なり、噴水は水の動きを際立たせる。一方で、水が浅い水路を流れる様子は、水を建築の一部に組み込む設計でもあった。[11]

スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿の獅子の中庭。14世紀に造られた、獅子像から水が流れ出す噴水がある。

アルハンブラ宮殿の獅子の中庭にある噴水の鉢の縁には、水の美しさをたたえる詩が刻まれている。「宝石の間を流れる銀が溶けたような水。その美しさは互いに等しく、純白で清らかである。流れる水は固体のように見え、どちらが液体なのかと目を疑わせる。水が噴水の縁を流れているのに、流れの道筋を作っているのは建築物であることが分かるだろうか」。[10] 水の流れを溶けた銀にたとえるこの詩は、噴水が動きを生み出す一方、水を細い水路に導く建築構造が、空間の落ち着いた印象を保っていることを表している。ナスル朝の宮殿には、口から水を噴き出す彫刻を庭園に設けた例も多く、水の動きと大きな水音が庭園に加えられた。[9]

このように、水はイスラム建築の重要な要素である。水は宗教的な意味を持つと同時に、庭園を訪れる人の精神、身体、感情に働きかける役割も担ってきた。

香りなどを楽しむ植物

灌漑と肥沃な土壌によって、乾燥した気候では自然に育ちにくい多様な植物を庭園で育てることができた。[12] 現存する庭園の植生は、造営当時のものと異なる場合が多い。歴史資料には植物の種類や栽培方法について正確な情報が十分に記されておらず、当時の記録は農業技術の詳細よりも、庭園で感じられる香りや景観などを重視していた。[1] ただし、サクランボ、モモ、アーモンド、ジャスミン、バラ、スイセン、スミレ、ユリなど、香りを楽しめる果樹や花が植えられていたことは記録されている。[3] 医学や植物学の文献によると、イスラム庭園の植物には、治療効果や性的な意味を持つ香りを放つものもあった。

古典ペルシア文学『ゴレスターン』(1258年)の写本。花を咲かせた木が庭園に描かれている。

自然には病を癒やす力があると考えたイスラムの学者アル=ガッジーは、薬用植物を研究し、香りのある植物について多くの記述を残した。[13] 庭園で休養することは、頭痛や発熱の治療法として勧められることもあった。患者には、「白檀やクスノキなど、涼しさをもたらす植物に囲まれた、涼しい場所で過ごす」ことが勧められた。[14]

ユナニ医学では、香りには気分を高める働きがあるとされ、香りは「精神の食物」と表現された。香りは知覚を鋭くし、[15] 記憶を呼び起こし、庭園を訪れた体験をより個人的で親密なものにした。イスラムの医学・植物学文献には、芳香植物の中には性的な意味を持つものもあったと記されている。中世のイスラム詩人も、恋愛における香りの役割を取り上げた。ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーは、恋人同士が互いを引き付けるために身に付ける香りや、庭園で感覚的な喜びをもたらす花束について詠んでいる。[16]

王族は、珍しい植物を権力や国の富を示す象徴としても求めた。[17] 王室の庭園には、ザクロ、ドゥナカール種のイチジク、さまざまなナシ、バナナ、サトウキビ、リンゴなど、珍しく味わう機会の少ない植物が植えられた。[17] 10世紀には、コルドバのウマイヤ朝の王室庭園が植物栽培の先進的な拠点となり、当時知られていた世界の遠隔地から種子、挿し木、根を取り寄せて栽培を試みていた。[18]

象徴

楽園

ラホールのシャーラマール庭園(1642年)。ユネスコの世界遺産に登録されている。

イスラム庭園は、宗教的な象徴以外にもさまざまな意味を持ってきた。[19] 多くのイスラム庭園は楽園を表すものと考えられている。特に、霊廟や墓を囲む庭園は、死後の世界にある楽園を具体的に表現する意図を持っていた。[20]

楽園を表す庭園には、生と死に関わる主題も見られる。たとえば、花が咲いてから枯れる様子は、人間の一生になぞらえられた。霊廟を囲む庭園には、花だけでなく果樹も植えられた。[21] 果樹や日陰、涼しい水場は、亡くなった人の魂が死後の世界でもそれらを楽しめると考えられたことから設けられた。[21] 庭園の中央に置かれることの多い噴水は楽園を表し、形はしばしば八角形であった。八角形は正方形と円の両方を含む幾何学的な形とされる。[3] この構成では、正方形が地上を、円が天を表し、地上から天へと移る境界を示すものと解釈された。[3] 緑色も宗教的な象徴として重要である。緑はイスラム教と結び付けられる色であり、花以外の植物の多くが緑色であることも、庭園の象徴性を強めていた。[3]

宗教的な記述

クルアーンでは、楽園を表すものとして庭園が繰り返し登場する。信仰者は「その下を川が流れる庭園」に住むとされている(クルアーン9章72節)。また、クルアーンに描かれる楽園には、蜂蜜、葡萄酒、水、乳の四つの川がある。この記述から、チャールバーグの四本の水路が楽園の四つの川だけを象徴していると解釈されることがあるが、これは一般的な誤解である。[22]

楽園のイメージは詩にも数多く登場する。古代の王イラムは、自らの王国に「イラムの庭園」を造り、楽園に匹敵するものを作ろうとしたとされる。この物語はイスラム世界の詩人たちの想像力をかき立てた。詩に描かれる庭園は、楽園の典型的なイメージを形作ってきた。イスラム教成立以前の文化やウマイヤ朝期の文化でも、乾燥した環境の中にある、豊かで静かな庭園が楽園として想像されていた。[7] ゾロアスター教の神話に基づくペルシア式庭園は、水と植物からなる楽園の原型とされる。水は正しい人々が暮らす楽園に欠かせない要素でもある。[7] 庭園の水は楽園にあるカウサルを表すとされ、そこから水を飲めるのは正しい人々だけだと考えられた。水は人々に対する神の恵みであり、生きるために必要なものでもある。[7] クルアーンでは雨や水が神の慈悲と結び付けられる一方、洪水などの自然災害を通じて神の罰を表すこともある。[7]

庭園を比喩として用いる表現は、デカン語の文学にも見られる。手入れされていない庭園は秩序を失った世界を表し、「愛の庭園」は充足や調和を示す。[23] ヌスラティが1657年に著したデカン語の詩『Gulshan-i 'Ishq』(「愛のバラ園」)では、さまざまな自然の情景が描かれ、最後に登場するバラ園が、精神的な結び付きと恋愛の成就を表す比喩となっている。[24]

チャールバーグの四つの区画は、宇宙が四つの部分から成るというイスラム的な世界観と結び付けられることがある。区画を分ける四本の水路は楽園の四つの川を象徴するとされる。庭師は、楽園の庭師リズワーンを地上に映した存在と考えられた。イスラム庭園に植えられる「チナール」は、天上に生えるとされるトゥーバーの木と結び付けられる。トゥーバーの木は、イスラム建築のモザイクや壁画にもよく描かれている。ゾロアスター教の神話では、チナールは預言者ゾロアスターが天から地上にもたらした聖なる木とされる。

権力と富の象徴

1420年頃のペルシアの画家による写本。王侯の生活を描いた一場面で、領地での狩猟が描かれている。

イスラム庭園は、所有者の権力や富を示すためにも利用された。宮殿の庭園の広さや壮麗さは、所有者の財力や支配力を目に見える形で示し、訪問者に強い印象を与えた。[7] イラクのサーマッラーに造られた宮殿や庭園は大規模なもので、アッバース朝の権勢を示していた。[7]

王の権力を示すうえでは、「楽園の庭園」と「王の庭園」が結び付けられた。水を管理する能力は、支配者の権力と富の証しでもあった。庭園を維持するには十分な水が必要であり、カリフが水の供給を管理することは、庭園の繁栄を左右する力を持つことを意味した。[7] 王族や裕福な人々は、水辺の庭園に客を招いてもてなした。水を豊富に利用できること自体が、彼らの富と贅沢を示していた。[7] 水面に反射する光は、支配者の治世に対する祝福とも考えられた。[7] また、庭園を整然と区画する設計は、支配者が自然環境を管理する能力を示していた。

サーマッラーのハイル・アル=ウフーシュなど、宮殿の庭園の一部は狩猟用の保護区としても使われた。[25] 広大な狩猟場は、カリフの権力と富を示すものだった。王侯の生活を描く「君主の循環」の中でも狩猟は重要な活動であり、狩猟に参加することは高い身分や威信を示した。[25]

地域による様式の違い

イスラム文明の庭園の多くは、現在まで残っていない。現存する庭園も、形態は保たれていても、継続的に管理されてきたとは限らず、当初の植栽が後世の植物に置き換えられている場合が多い。[26] 庭園は建築芸術の一形態であり、気候や維持管理に使える資源によって姿を変えてきた。とりわけ大規模で豪華な庭園には多くの資源が必要であり、時代が変わるにつれて維持が難しくなることもあった。また、歴史資料に植物の種類が正確に記されていないため、造営当時の植栽を正確に復元することは困難である。[1]

イスラム庭園の伝統にどの庭園を含めるかについては、歴史家の間で議論がある。この伝統は数世紀にわたってアジア、ヨーロッパ、アフリカに広がってきたためである。[27]

ウマイヤ朝の庭園

現在のシリア北部にある同名の村の近くに位置するアル=ルサーファは、ウマイヤ朝のカリフ、ヒシャーム・イブン・アブドゥルマリクの別荘に設けられた宮殿と庭園であった。中央には石造のパビリオンがあり、その周囲を回廊が囲んでいた。形式的なチャールバーグの最も初期の例と考えられている。[1]

アッバース朝の庭園

ダール・アル=ヒラーファ宮殿は、アッバース朝のカリフ、アル=ムウタスィムの命令により、836年にサーマッラーに建設された。宮殿へはバーブ・アル=アーンマ門から入ることができた。この門の2階部分からは、近くの広大な池やパビリオン、庭園を見渡せた。庭園や噴水のある広場も設けられた。宮殿の正面にはポロ競技場があり、競馬場や狩猟用の保護区も整備されていた。[28]

アンダルスとマグリブの庭園

14世紀のヘネラリーフェ(グラナダ)の庭園中庭

10世紀にアンダルスで造られたメディナ・アサーラの段状庭園は、対称的に区画された囲い庭園の例として、西方イスラム世界で最も早い時期に確認できるものの一つである。イスラム世界全体で見ても、初期の例に数えられる。メディナ・アサーラは、アブド・アッラフマーン3世の治世に建設され、11世紀に破壊された。[29][30] また、この地域で初めて、こうした庭園と段状の地形を組み合わせた例でもある。[30] アンダルスの庭園様式は、東方のペルシア式チャールバーグを起源とし、ウマイヤ朝の支配者たちによって西方へ伝えられた可能性がある。[29][30]:69–70 コルドバ近郊にアブド・アッラフマーン1世が777年に造営した旧別荘アル=カスル・アル=ルサーファについては、十分な調査が行われていない。しかし、見晴らしのよい場所に庭園やパビリオンがあった可能性があり、アンダルスのウマイヤ朝の君主たちが早い時期からこの庭園文化を取り入れていたことを示唆している。[30] 対称的に区画された中庭は、後にリヤード(riyadまたはriad)として知られるようになり、マグリブやアンダルスの西方イスラム建築で一般的な様式となった。アルハフェリア宮殿やアルハンブラ宮殿など、後世のアンダルスの宮殿にもこの様式が見られる。[31][32][29]

現在のアルジェリアにあるベニ・ハンマードの要塞(「ベニ・ハンマードの城塞」)は、11世紀初頭にハンマード朝が建設した要塞都市の首都であった。廃墟となってから800年にわたり人が住んでおらず、現在は考古学調査が行われている。都市の南端には、湖の宮殿を意味するダール・アル=バフルがあった。当時の訪問者は、広い池で行われる水上の見世物について記録している。池と宮殿の周囲には、段状のテラス、中庭、庭園があった。庭園の詳しい構成はほとんど分かっていないが、石造の噴水にはライオンの装飾が施されていた。[33] 西マグリブ、すなわち現在のモロッコで最も早い時期のリヤード庭園として知られるのは、12世紀初頭にムラービト朝の君主アリー・イブン・ユースフがマラケシュに建てた宮殿の庭園である。ただし、その存在は考古学的な発掘調査によって確認されている。以後、特にマラケシュでリヤード庭園が広まった。16世紀後半には、サアド朝のスルタン、アフマド・アル=マンスールが、壮大な迎賓宮殿エル・バディ宮殿や、アグダル庭園内の別の娯楽用宮殿など、大規模なリヤード庭園を造営した。[31][29][34]

アンダルスのグラナダにあるヘネラリーフェも有名な例である。ナスル朝の君主ムハンマド2世またはムハンマド3世の時代に、アルハンブラ宮殿の向かい側の丘に造られた。[35][36] 宮殿には噴水や景色を見渡せるパビリオン、根の浅い植物を植えた庭園がある。何世紀にもわたって改修や植え替えが行われてきたが、当初の設計に由来する二つの主要な要素が残されている。一つは「水路の中庭」と呼ばれるアセキアの中庭であり、もう一つは敷地の上段へ水を導く「水の階段」である。[36]

ムガル庭園

パキスタンのラホールにあるシャーダラ・バーグのジャハーンギール廟庭園(1637年)

現在のインド、バングラデシュ、パキスタンに見られるムガル庭園は、イスラム庭園の様式を基礎としながら、テント、絨毯、天蓋など、遊牧民のトルコ・モンゴル系文化の影響も受けている。ムガル朝の象徴や数秘術、黄道十二宮に関する表現がクルアーンの記述と組み合わされることもあった。また、庭園の幾何学的な構成は、より厳密で形式的なものとなる傾向があった。流れの速い川が少ない地域では、灌漑のために揚水装置がよく使われた。初期のムガル庭園は、バーブル庭園のように要塞としての性格を持っていたが、後にはタージ・マハルのような河岸に面した庭園も造られるようになった。[37][38][39][40]

オスマン庭園

トルコのイスタンブールにあるトプカプ宮殿の第二中庭。庭園と公園が広がっている。

オスマン帝国の時代には、スルタンや有力者がボスポラス海峡やマルマラ海の沿岸、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)周辺に、宮殿、休憩用の東屋、庭園付きの邸宅を造った。[41] 厳密な幾何学や対称性を重視したムガル庭園やサファヴィー朝の庭園とは異なり、スルタンの主要な居住地だったトプカプ宮殿の庭園は、自然の地形に合わせて造られ、幾何学的な整然さよりも自然な景観を重視していた。形式的な庭園もあれば、自然の景観に近い公園のような場所もあった。広い非形式的な庭園の中に、整然としたパルテールを配置する例もあった。[41] この傾向の例外として、16世紀初頭にカバタシュに造られたカラバリ庭園がある。この庭園は、軸線に沿った通路によって四つの対称的な区画に分けられていた。[41] スレイマン1世(在位1520–1566年)は庭園を好み、バラ、イトスギ、その他の花を育てるために約2,500人の庭師を雇ったとされる。[41] スルタンアフメト3世(在位1703–1730年)の時代には、チューリップ時代の名のとおり、花壇にチューリップが植えられた。[41] 19世紀後半、アブデュルハミト2世(在位1876–1909年)がボスポラス海峡を見下ろす丘陵地の広大な公園内にある新しいユルドゥズ宮殿へ居所を移すと、庭園に複数のパビリオンを配置するトプカプ宮殿型の様式が再び見られるようになった。[41]

大規模なモスクには、墓地を兼ねた庭園が付属することも多かった。そこには樹木や花が植えられ、墓そのものも小さな庭園のように扱われることがあった。墓の区画に植物を植えたり、墓石にツル植物を固定する穴を設けたりした例もある。[41] イスタンブールのスレイマニエ・モスクの裏手にある墓地は、その一例である。[41]

17世紀の旅行記作家エヴリヤ・チェレビによる『旅行記』には、現在のアルバニアにあるベラトやエルバサン周辺の楽園庭園についての記述がある。アルバニア文化の研究者ロバート・エルシーによると、オスマン帝国時代の洗練された東方文化の痕跡は、現在ではこの地域にほとんど残っていない。チェレビは、ベラトを緑豊かな七つの丘に広がる町として描き、魅力的な住宅、庭園、噴水があったと記している。エルバサンについても、豪華な住宅、ブドウ畑、楽園庭園、池や清らかな水の噴水を備えた整備の行き届いた公園があったと述べている。[42]

ペルシア庭園

イスファハーンにあるチェヘル・ソトゥーンのパビリオンと庭園(1647年)

イスファハーンのチェヘル・ソトゥーンは、サファヴィー朝のシャーであるアッバース2世の時代、1647年に完成した。建物には迎賓用の広間があり、約15エーカーの庭園が付属していた。イスファハーンの宮殿とチャハールバーグ通りの間に位置し、周囲にも王室の庭園があった。庭園内には迎賓用の広間へ向かう三本の通路が設けられ、長方形の池には広間の姿が映し出された。[43]

もう一つの例は、タブリーズにあるシャー・グル庭園である。「王の池」とも呼ばれ、1785年、カージャール朝期にイランの裕福な一族または支配階級によって造られた。当時のタブリーズは、郊外の邸宅を建てる場所として人気があった。庭園の中心には約11エーカーの四角い池がある。池の南側には果樹が並び、その列から七段の高いテラスが続いている。池の中央には、18世紀に築かれた基壇の上に近代のパビリオンが建てられた。現在のタブリーズに残る数少ない庭園の一つである。[26]

近代の庭園

エジプトのカイロにあるアル=アズハル公園の水路噴水

カイロのアル=アズハル公園は、ダラッサの丘に2005年に開園した。D・フェアチャイルド・ラグルズは、この公園について、強い幾何学的構成、低く掘り下げた花壇、マムルーク建築風の多色石材装飾、軸線に沿った水路、噴水などによって歴史的なイスラム庭園を思わせる場所であり、それらを抑制の効いた現代的な設計に取り入れていると評している。現代の公園として、周辺地域の住民が利用できるよう、より大きな都市計画の一環として整備された。[44]

植物

イスラム庭園によく見られる植物には、次のものがある。[45]

関連項目

脚注

  1. 1 2 3 4 Ruggles, D. Fairchild (2014). “Gardens” (英語). The Encyclopaedia of Islam, Three. Brill. ISBN 9789004269613
  2. ↑ Latiff, Zainab; Ismail, Sumarni (March 10, 2016). “The Islamic Garden: Its Origin And Significance”. Research Journal of Fisheries and Hydrobiology (1816-9112).
  3. 1 2 3 4 5 6 “The Symbolism of the Islamic Garden "Islamic Arts and Architecture”. Islamic Arts and Architecture. 2019年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月12日閲覧。
  4. ↑ Marie-Luise Gothein, A History of Garden Art, Diederichs, 1914, p. 148.
  5. 1 2 3 4 5 6 7 8 Ruggles, D. Fairchild (2014). “Gardens (Garden form and variety)” (英語). The Encyclopaedia of Islam, Three. Brill. ISBN 9789004269613
  6. ↑ Lehrman, Jonas Benzion (1980) (英語). Earthly Paradise: Garden and Courtyard in Islam. University of California Press. pp. 199. ISBN 978-0-520-04363-3
  7. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 Blair, Sheila S.; Bloom, Jonathan M. (2009) (英語). Rivers of Paradise: Water in Islamic Art and Culture. New Haven: Yale University Press. ISBN 9780300158991. OCLC 317471939
  8. 1 2 3 4 Graves, Margaret S. (2012). Islamic Art, Architecture and Material Culture : New Perspectives. England: Archaeopress. pp. 93–99. ISBN 978-1407310350. OCLC 818952990
  9. 1 2 3 4 5 Ruggles, D. Fairchild (2000) (英語). Gardens, Landscape, and Vision in the Palaces of Islamic Spain. Pennsylvania State University Press. pp. 210
  10. 1 2 Blair, Sheila S.; Bloom, Jonathan M. (2009). “Chapter 2” (英語). Rivers of Paradise: Water in Islamic Art and Culture. Yale University Press. ISBN 9780300158991. OCLC 698863162
  11. 1 2 3 Blair, Sheila S.; Bloom, Jonathan M. (2009). “Chapter 1” (英語). Rivers of Paradise: Water in Islamic Art and Culture. Yale University Press. ISBN 9780300158991. OCLC 317471939
  12. ↑ Ruggles, D. Fairchild (2000) (英語). Gardens, Landscape, and Vision in the Palaces of Islamic Spain. Pennsylvania State University Press. pp. 15
  13. ↑ Husain, Ali Akbar (2012). Scent in the Islamic garden : a study of literary sources in Persian and Urdu (2nd ed.). Karachi: Oxford University Press. pp. 50. ISBN 9780199062782. OCLC 784094302
  14. ↑ Husain, Ali Akbar. (2012). Scent in the Islamic garden : a study of literary sources in Persian and Urdu (2nd ed.). Karachi: Oxford University Press. pp. 76. ISBN 9780199062782. OCLC 784094302
  15. ↑ Husain, Ali Akbar. (2012). Scent in the Islamic garden : a study of literary sources in Persian and Urdu (2nd ed.). Karachi: Oxford University Press. pp. 83. ISBN 9780199062782. OCLC 784094302
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参考文献

外部リンク