イバン・クルーズ

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イバン・クルーズ
Ivan Cruz
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区ファハルド
生年月日 (1968-05-03) 1968年5月3日(56歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
227 lb =約103 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手、外野手
プロ入り 1989年 MLBドラフト28巡目
初出場 MLB / 1997年7月18日
NPB / 2001年3月30日
最終出場 MLB / 2002年9月27日
NPB / 2003年8月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ルイス・イバン・クルーズ(Luis Iván Cruz、1968年5月3日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手(内野手)。

来歴・人物

来日前

コレージオ・サンティアゴ高校、ジャクソンビル大学を経て、1989年のMLBドラフト28巡目でデトロイト・タイガースに指名され契約。1997年にニューヨーク・ヤンキースでメジャー初昇格。1999年にピッツバーグ・パイレーツに移籍。マイナーリーグでは1996年と1997年にヤンキース傘下(当時)のAAA級コロンバスで主軸として活躍するなどしたが、メジャーでは好成績を残すことはできず、2000年のシーズン途中にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルに移籍した[1]。

阪神時代

2001年に阪神タイガースにエドゥアルド・ペレスと共に入団。当時打撃力が不足していた阪神のチーム事情から、「大砲」として期待されての入団であった。オープン戦では19試合で打率.385、7本塁打、14打点と好成績を残し、それまで度々外国人選手に裏切られてきた事情から、ファンやマスコミから「バースの再来」と騒がれた。

開幕2戦目の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で、ダレル・メイからバックスクリーンに特大アーチを放つなど「今回こそは本物」と言われたものの、その後は低打率に喘ぐ。また、シーズン途中に左肩を負傷[2]し、その後も試合に出場したものの状態は悪化。左肩関節唇損傷と診断され治療のため帰国してしまった。不調だったが怪我の回復次第では残留の可能性もあったが、結局同年オフに解雇された。

この年に放った14本の本塁打のうち7本は対巨人戦でのものだった[2][3]。6月9日の対巨人戦(東京ドーム)でこの年一番の活躍とも言える1試合に3本の本塁打を放ったが、同じ試合で清原和博も3本の本塁打を放ち、なおかつチームは敗れたためあまり目立たなかった。

カージナルス時代

2002年はセントルイス・カージナルス傘下のAAA級メンフィスに所属[2][3]。35本塁打、100打点を記録[2][3]し、メジャー昇格を果たした[4]。

中日時代

2002年11月20日の中日スポーツの記事で中日ドラゴンズが獲得を目指していることが報道された[5]。その後、12月2日に中日への入団が発表された[4][6]。2001年に所属した阪神と同様に長距離打者不在に悩む中日でもクリーンナップとして期待された[2]。

2003年は、オープン戦で7本塁打を放ち本塁打王となった[7]。3月30日の巨人戦(東京ドーム)で1回表に木佐貫洋からバックスクリーンへ先制3点本塁打を放ち、移籍後初本塁打を記録[7]。だが、その後は5月11日時点で打率.180、4本塁打と打撃不振に陥った[8]ほか、練習欠席[8]、扁桃炎発症[9][10]もあり、5月14日に二軍に降格した[9][10]。5月25日の一軍復帰後は復調した[11]が、最終的に2割台前半の[12]低打率から抜け出せず、9月10日に退団が発表された[12]。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1997 NYY 1122200510063000020040.250.318.300.618
1999 PIT 510103400172000000020.400.400.7001.100
2000 811110100010000000081.091.091.091.182
2001 阪神 70267239195650141033400002543625.234.315.431.746
2002 STL 1715142500183000010030.357.400.571.971
2003 中日 7124822521508111933410012012602.222.290.413.704
MLB:4年 4158555151022280000300171.273.310.400.710
NPB:2年 141515464401061312519668100145551227.228.303.422.725

記録

NPB

背番号

  • 47 (1997年)
  • 25 (1999年 - 2000年)
  • 42 (2001年)
  • 16 (2002年)
  • 49 (2003年)

脚注

注釈

    出典

    1. ↑ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=cruz--003lui
    2. 1 2 3 4 5 “クルーズ、クリーンアップ任せろ!! 米からD党に熱きメッセージ”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年12月5日). 2003年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
    3. 1 2 3 “クルーズ G倒任せ!! Vの使者来日”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年1月30日). 2003年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
    4. 1 2 “クルーズ 竜決定!! あとは右の大砲”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年12月3日). 2002年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
    5. ↑ “竜 急きょ方針転換 元阪神クルーズ獲得へ”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年11月20日). 2002年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
    6. ↑ “オオバケするかしら?中日が元阪神のクルーズと契約”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 (2002年12月2日). 2005年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
    7. 1 2 “G倒スクラム クルーズ点火弾 アレックス3安打2打点”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年3月31日). 2003年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
    8. 1 2 “中日のクルーズ、練習参加拒否で二軍降格が濃厚”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 (2003年5月12日). 2004年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
    9. 1 2 “中日・川上が右肩に痛みを訴え登録抹消”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 (2003年5月14日). 2004年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
    10. 1 2 “クルーズ2軍へ 筒井が昇格決定”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年5月14日). 2003年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
    11. ↑ “中日今季初の5連勝!クルーズ&リナレスが大爆発”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 (2003年6月18日). 2004年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
    12. 1 2 “中日がクルーズを解雇”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 (2003年9月10日). 2004年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。

    関連項目

    外部リンク