ウクライナの言語

ウィキペディアから、無料の百科事典
ウクライナの言語
ウクライナの言語、2001年国勢調査
公用語
非公用語 言語
国語 言語
土着語
地方言語 言語
現地語 言語
少数言語 言語
主な移民言語 言語
主な外国語
  1. 英語
  2. ドイツ語
  3. フランス語
  4. スペイン語
  5. イタリア語
  6. アラビア語
手話 ウクライナ手話
一般キー配列
出典 2001年ウクライナ国勢調査

ウクライナの言語(ウクライナのげんご、ウクライナ語: Мови в Україні, ラテン文字転写: Movy v Ukraini)とは、ウクライナで使用されている言語のことである。ウクライナの公用語はウクライナ語であり、東スラヴ語群に属している。人口の81%がウクライナ語を日常生活で使用しており、87%以上が仕事または勉強で使用している。ウクライナでウクライナ語に次いで話されている言語はロシア語であり、人口の34%が使用している[1]。

言語と日常生活

2022年時点では、ウクライナ語を人口の81%、ロシア語を人口の34%が日常生活で使用している。つまり、人口の19%もの人がウクライナ語とロシア語の両方を日常的に使用していることになる。

2001年国勢調査

2001年ウクライナ国勢調査によると民族としてのウクライナ人が人口77.8%を占め、他の民族はそれぞれのロシア系ウクライナ人(英語版)(17.3%)、ベラルーシ系ウクライナ人(英語版)(0.6%)、モルドバ系ウクライナ人(英語版)(0.5%)、クリミア・タタール人(0.5%)、ブルガリア系ウクライナ人(英語版)(0.4%)、ハンガリー(マジャル)系ウクライナ人(英語版)(0.3%)、ルーマニア系ウクライナ人(英語版)(0.3%)、ポーランド系ウクライナ人(英語版)(0.3%)、ユダヤ系ウクライナ人(0.2%)、アルメニア系ウクライナ人(英語版)(0.2%)、ギリシャ系ウクライナ人(英語版)(0.2%)、クリミア・カライム人(0.1%)、クリムチャク人(0.1%)、ガガウズ人(0.1%)である[2]。

下の表は、2001年国勢調査によるウクライナ人の母語(家庭で話されている言語とは限らない)とその話者数を示している[3]。

全体の話者数

  ウクライナ語 (67.53%)
  ロシア語 (29.59%)
  その他 (2.4%)
言語話者数合計
ウクライナ語32,577,46867.53%
ロシア語14,273,67029.59%
クリミア・タタール語231,3820.48%
モルドバ語185,0320.38%
ハンガリー語161,6180.34%
ルーマニア語142,6710.30%
ブルガリア語134,3960.28%
ベラルーシ語56,2490.12%
アルメニア語51,8470.11%
ガガウズ語23,7650.05%
ロマ語22,6030.05%
ポーランド語19,1950.04%
ドイツ語4,2060.04%
ギリシャ語6,0290.01%
ヘブライ語3,3070.01%
スロバキア語2,7680.01%
カライム語960.00%
その他143,1630.30%
記載なし201,4370.42%
全て48,240,902100%

この表に含まれていない言語は、ルシン語(6,725人 2001年)[4]、ウクライナ手話(54,000人 2008年時点)、イディッシュ語(11,500人 2007年時点)、ウルム語(95,000人 2000年時点 タタール語に含まれることが多い)、クリムチャク語(200人 2007年時点)である。また、代表的なロマ語であるVlax Romani language(英語版)やCarpathian Romani(英語版)、Balkan Romani(英語版)も含まれていない[5]。他にもスウェーデン語のGammalsvenska(英語版)方言(2014年時点では少なくとも10人が流暢に話せ、150人がなんらかの知識を持っている)などもある[要出典]。

地方言語

エスノローグではウクライナの40の少数言語と方言がリスト化されている。そして、ほぼ全ての言語が旧ソ連由来である。

2012年8月にウクライナ最高議会で採択された「国家語政策の原則法(ウクライナ語版)」が施行された結果、少なくとも州(英語版)人口の10%が話している言語を「地方言語」としての地位を付与することを可能にした。しかし、国全体としてはまだまだウクライナ語が唯一の「公用語」とされていたが、州当局が採用していくにつれて教育機関や地方官庁、裁判所、国営通信などでも受け入れられていった[6]。

2014年2月、ウクライナ最高議会は地方言語に関する法律の廃止を決定したにもかかわらず、当時の大統領代行であるオレクサンドル・トゥルチノフはこの決定への署名を拒否した。2014年9月、ウクライナの憲法裁判所(英語版)はこの法律の合憲性を審査し始めた[7]。そして、2018年2月28日、法律は違憲であると判決を下した[7]。欧州評議会によるとこの法律は少数言語の言語権を公正に保護できないとした[8]。

外国語

ウクライナで教えられている主な言語は英語である。オンラインのアンケートによるとウクライナ人のおよそ50%が英語を喋れるという結果となった[9]。

ウクライナにおける言語に関する調査の結果

15~16世紀

15世紀、リトアニア大公国に組み込まれた東スラヴの地では、「ルテニア語」――人口の大多数が話し、リトアニアの法律文書の作成に使用されていた言語(今日ではそれぞれ古ウクライナ語と古ベラルーシ語と呼ばれ、現代ウクライナ語とベラルーシ語の語彙は84%重複している)。かつてポ - ランド王国に征服された東ガリツィアでは古ポ ランド語が広われていたのに対し、黒海北部やアゾフ海沿岸地域では遊牧民のテュルク系言語が優勢でした。こうした遊牧民による絶え間ない襲撃から防衛するため、国境の町チェルカースィで最初のザポロ - ジェ・コサック部隊が結成されました。これらの部隊は後に、主要な軍事・政治組織である「ザポロ - ジェ・シーチ」へと発展し、その後の独自のウクライナの民族的アイデンティティ、言語、文化の形成における礎となりました [10]。

17~18世紀

1648年に『ウクライナ総図』を編纂したギヨーム・ルヴァスール・ド・ボープランをはじめとする、シーチ(コサックの拠点)に駐在した外国人外交官の記録や、1649年のザポロージャ・コサック軍の名簿によれば、同軍の支配地域に居住する人々の多く(先住民と近隣諸国からの移住者の双方を含む)は、近隣住民との意思疎通を図るために複数の言語を話していました。クリミア・ハン国との関係のみを扱った1710年のピリプ・オルリク憲法の第3条は、クリミア・タタール語が18世紀初頭のウクライナにおいて最も広く話されていた言語の一つであったことを示しています [11]。フリホリー・フラビヤンカの年代記などのコサック年代記や、1756年のザポロージャ・コサック軍名簿(コサック将校らが作成したもので、その年にウクライナで従軍していた全コサックに加え、辺境の村々の住民も氏名入りで記載されている)といった資料によれば、多くのウクライナ人が5つ以上の言語を流暢に操っていました。例えば、コサックのヘトマン(首長)であったイヴァン・マゼーパは、ラテン語を含む8つの言語を理解していました [12]。

ザポリージャにあるコサック要塞の復元 ― ウクライナの歴史的な多言語性の象徴であり、同国の重要な記念建造物かつランドマークとなっている [13]。

1768年から1774年にかけての露土戦争を経て、黒海北岸地域全域がロシア帝国の支配下に入りました。かつてのコサックやタタールの要塞跡地には新たな都市が建設され、ヨーロッパ各地からの入植者が流入しました。その結果、ウクライナ語が依然として優勢ではあったものの、特に ヘルソンやオデーサ といった都市においては、フランス語やロシア語などが定着することとなりました。また、ロシア帝国領内へのギリシャ人やブルガリア人の移住に伴い、ウクライナ国内でギリシャ語やブルガリア語も広まりました。ベッサラビアの併合に伴い、ウクライナ南部でもルーマニア語が広く使われるようになりました [14] [15]。

19世紀

さらに、ロシア帝国の他の言語と同様に、ウクライナ語も19世紀には当局から厳しい制限を受けました。これは、ウクライナを帝国に統合し、その被支配住民を同化させることを目的としたものであり、公的な場では「ウクライナ」という言葉の使用さえも禁止されていました。タラス・シェフチェンコの記述によれば、19世紀の右岸ウクライナにおいて、ポーランド語は依然として2番目に広く話されている言語でした。ウクライナ語を標的とした公的な禁止令の最も著名な例として、「エムス・ウカース」と「ヴァルエフ回状」が挙げられます。19世紀後半のロシア帝国では、ウクライナ語を除くあらゆる言語での出版が認められていましたが、「プロスヴィータ」協会などによる出版の試みは帝政ロシアの警察によって弾圧され、関与した人々は「マゼパ主義」の容疑で投獄されたり、シベリアへ流刑に処されたりしました [16] [17] [18]。

右の円グラフは1897年ロシア帝国国勢調査(英語版)による1897年のウクライナ(当時はロシア帝国の9つの県)における言語構成である。

1897年のウクライナにおける言語構成

  ロシア語 (11%)
  ドイツ語 (2%)
  その他 (1%)

ロシア帝国の9つ県の一覧

20世紀

ウクライナ語の報道が許可されたのは、1905年のロシア革命後のことであり、それも日常生活に関する話題に限られるなど、限定的な範囲にとどまるものでした。「赤色テロ」の期間中には、ウクライナ人民共和国政府の支持者の多くが殺害されました。

1918年当時の独立したウクライナ人民共和国の地図。その領域は、ウクライナ語が話されていたすべての地域を包含しています。

1920年代には、住民の忠誠を確保するために「ウクライナ化」政策が実施されました。「ホロドモール」の際には、高い死亡率がウクライナ語の語彙に大きな影響を及ぼしました [19]。ソ連における大規模な政治的弾圧の期間中、スターリン政権はウクライナの知識層を標的とした作戦に加え、同国の少数民族に対しても弾圧を行いました。これらの集団の一部の人々は、外国勢力へのスパイ容疑で処刑されたり、強制労働収容所 グラーグ へ送られたりしました。こうした事態により、ディアスポラ(離散民)のコミュニティが完全に消滅するケースも生じました。例えば、クロピヴニツキー 市にあったウクライナ唯一のセルビア人コミュニティは壊滅させられました。なお、セルビアのエレーナ公妃は、二月革命以前にこのセルビア人コミュニティを公式に訪問したことがありました。スターリン時代、歴史学は厳しい検閲を受け、プロパガンダの手段として利用されました。例えば、スターリン自身が提示したある疑似科学的な説では、ウクライナの民族や言語はロシアのそれに由来すると主張されていましたが、現代の多くの歴史家は、両民族とも東スラブ人の部族を祖先としているという証拠を挙げ、この説を否定しています。ミハイロ・フルシェフスキーをはじめ、後者の見解を検証し裏付けた多くの民族学者や歴史家は、政治的な弾圧を受けました [20] [21]。1938年にはロシア語の学習が義務化されました。ソ連時代の終わりまでには、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国において、ロシア語とウクライナ語が主要な言語となっていました [22]。

21世紀初頭

親ロシア派の社会政治学法人であるFOM-Ukraine(英語版)が2009年10月に1000人を対象に行った調査では52%の人がロシア語をコミュニケーションの手段として使うと回答。41%の人がウクライナ語を使うと回答し、8%の人が両方を使うと回答した[23]。

リサーチ・アンド・ブランディング・グループ(英語版)が2010年3月に行った調査[24]では65%の人がウクライナ語を母語だと回答し、33%の人がロシア語が母語だと回答した。そして、この調査ではロシア語の基礎的な知識を持っている人(76%)がウクライナ語の基礎的な知識を持っている人(69%)よりも多いことがわかった。さらに、調査の回答者の46%はロシア語よりもウクライナ語を話すことを好み、38%の人はウクライナ語よりもロシア語を話すことを好んだ。そして16の人%は両方を同じぐらい話すことを好んだ。

2009年11月に行われた調査では54.7%のウクライナ人がウクライナにおける言語の問題には無関係であり、各人が好きな言語を話すことができ、他の重大な問題がこの国には存在していると回答した。14.7%の人が言語の問題は重大であり、早急に解決しなければいけない問題であると回答した。残りの28.3%の人は言語の問題は解決しなければならないが、先送りにしてかまわないと回答した[25]。

2011年8月にラズムコヴァ・センター(英語版)が行った調査では53.3%の人がウクライナ語を日常生活で使用していると回答し、44.5%の人がロシア語を日常生活で使用していると回答した[26]。

2012年5月にレーティング (ウクライナ)(英語版)が行った調査では50%の人がウクライナ語を母語だと考えていると回答し、29%がロシア語を、20%がウクライナ語とロシア語の両方を、1%がその他の言語を母語だと考えていると回答した[27]。

2015年12月11日から23日にかけてラズムコヴァ・センターが10,071人を対象にロシアが支配しているクリミアと分離主義者が支配しているドネツクとルハンスクを除いた、ウクライナの全ての地域で行った調査では60%のウクライナ人がウクライナ語を母語だと考えているとし、15%がロシア語、22%がウクライナ語とロシア語の両方(内2%は別の母語も持っていた)、37%が仕事で使う言語としてウクライナ語とロシア語を同じぐらい使い、21%が両方でコミュニケーションを取れるバイリンガルだった。この調査での誤差は1%だった[28][29]。

地図

ウクライナ全土

クリミア

言語政策

2016年11月にウクライナのラジオ局は毎日、ウクライナ語の歌を流すことを要求する法律が施行された。またこの法律はテレビやラジオのニュース番組の60%をウクライナ語で放送することを保証するように要求した[30]。

2017年9月にもウクライナは公教育おける言語に関して同様の法律を制定した。この法律は全ての学校の第二外国語を必要としない授業で国語であるウクライナ語を使用することを義務付けた[要出典]。ただし、「英語または欧州連合の他の公用語」を使用する授業は例外とされた[31]。2019年5月にウクライナの閣僚会議で新しいウクライナ語の正書法(英語版)が採択された[32]。

関連項目

脚注

  1. ↑ “Мова та ідентичність в Україні на кінець 2022-го”. Збруч. 2023年7月18日閲覧。
  2. ↑ Opinion on the law on Supporting the functioning of the Ukrainian language as the State language.(PDF)(レポート).ヴェネツィア委員会(英語版). 2019年12月9日. p. 3. CDL-AD(2019)038. 2023年7月19日閲覧.
  3. ↑ "Table 19A050501 02. Distribution of the population of Ukraine's regions by native language (0,1)"[リンク切れ]
  4. ↑ "Чисельність осіб окремих етнографічних груп украінського етносу та їх рідна мова".database.ukrcensus.gov.ua/database.ukrcensus.gov.ua(ウクライナ).State Statistics Service of Ukraine(英語版)のデータベース.
  5. ↑ Eberhard, David M.; Simons, Gary F.; Fennig, Charles D., eds. (2019)."Ukraine – Languages"[リンク切れ]Ethnologue (22nd ed.). SIL International.
  6. ↑ "Russian becomes regional language in three more regions in Ukraine" ukrinform.ua.
  7. 1 2 Constitutional Court declares unconstitutional language law of Kivalov-Kolesnichenkoウクルインフォルム(2018年2月28日)
  8. ↑ “New Language Requirement Raises Concerns in Ukraine”. Human Rights Watch. 2023年7月22日閲覧。
  9. ↑ “How Many Russians and Ukrainians Speak English?"” (2022年4月2日). 2023年7月25日閲覧。
  10. ↑ ЗАПОРОЗЬКА СІЧ
  11. ↑ 1710 – ухвалено Конституцію Пилипа Орлика
  12. ↑ Реєстр козаків 1756 року
  13. ↑ Хортиця
  14. ↑ 1775 - руйнування Запорозької Січі
  15. ↑ КУБАНСЬКЕ КОЗАЦЬКЕ ВІЙСЬКО (ККВ)
  16. ↑ ВАЛУЄВСЬКИЙ ЦИРКУЛЯР
  17. ↑ 1876 - підписано Емський указ
  18. ↑ МАЗЕПИНСТВО
  19. ↑ Їжа як зброя. Що ви маєте знати про Голодомор
  20. ↑ Псевдонаука в СРСР
  21. ↑ Самозарождение жизни в яичном желтке, слияние всех языков в один и курицы без мозга. Как в СССР расцвела псевдонаука
  22. ↑ 13 марта 1938 года вышло постановление "Об обязательном изучении русского языка в школах национальных республик в СССР"
  23. ↑ “ФОМ > Мнения и взгляды населения Украины в сентябре - октябре 2009 года”. Bd.fom.ru. 2023年7月26日閲覧。
  24. ↑ "Маркетинговые, социологические и политические исследования - R&B Group". Rb.com.ua.[リンク切れ]
  25. ↑ “Poll: more than half of Ukrainians did not consider language issue pressing”. Kyiv Post (2009年11月25日). 2023年7月26日閲覧。
  26. ↑ “Опитування: більшість українців спілкуються вдома українською мовою”. tsn.ua (2011年8月23日). 2014年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月26日閲覧。
  27. ↑ "The language question, the results of recent research in 2012".レーティング (ウクライナ)(英語版).2012年5月25日.
  28. ↑ “Українці стали частіше розмовляти українською”. Українська правда. 2023年7月26日閲覧。
  29. ↑ “КОНСОЛІДАЦІЯ УКРАЇНСЬКОГО СУСПІЛЬСТВА : ШЛЯХИ, ВИКЛИКИ, ПЕРСПЕКТИВИ : Інформаційно-аналітичні матеріали”. Uceps.org. 2016年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年5月1日閲覧。[リンク切れ]
  30. ↑ “Ukraine imposes language quotas for radio playlists”. BBC News (2016年11月8日). 2023年7月27日閲覧。
  31. ↑ “New education law becomes effective in Ukraine”. www.unian.info (2017年9月28日). 2023年7月27日閲覧。
  32. ↑ "Міністерство освіти і науки України - Український правопис (2019)"[リンク切れ]

参考文献

外部リンク