ウルホ・ケッコネン
| ウルホ・ケッコネン Urho Kaleva Kekkonen | |
| 任期 | 1956年3月2日 – 1982年1月27日 |
|---|---|
| 首相 | カルル=アウグスト・ファゲルホルム ヴィエノ・ヨハネス・スクセライン ライネル・ヴォン・フィエアンドト レイノ・クースコスキ カルル=アウグスト・ファゲルホルム ヴィエノ・ヨハネス・スクセライネン マルッティ・ミエットゥネン アハティ・カルヤライネン レイノ・ラグネル・レフト ヨハンネス・ヴィロライネン ラファエル・パーシオ マウノ・コイヴィスト テウヴォ・アウラ アハティ・カルヤライネン テウヴォ・アウラ ラファエル・パーシオ カレヴィ・ソルサ ケイヨ・リーナマー マルッティ・ミエットゥネン カレヴィ・ソルサ マウノ・コイヴィスト カレヴィ・ソルサ |
| 任期 | 1950年3月17日 – 1953年11月17日 |
| 大統領 | ユホ・クスティ・パーシキヴィ |
| 任期 | 1954年10月20日 – 1956年3月3日 |
| 大統領 | ユホ・クスティ・パーシキヴィ 自身 |
| 出生 | 1900年9月3日 クオピオ州 ピエラヴェシ |
| 死去 | 1986年8月31日(85歳没) ウーシマー州 ヘルシンキ |
| 政党 | 農民同盟 (1956-1965) フィンランド中央党 (1965-1982) |
| 出身校 | ヘルシンキ大学 |
| 前職 | 弁護士、警察官、ジャーナリスト |
| 配偶者 | シルビ・サロメ・ウイノ |
| 子女 | 2人 |
| 親族 | ユッシ・ケッコネン(弟) |
| 署名 | |
ウルホ・カレヴァ・ケッコネン(フィンランド語: Urho Kaleva Kekkonen [ˈurho ˈkekːonen] (
音声ファイル)、1900年9月3日 - 1986年8月31日)は、フィンランドの政治家、大統領、首相(2期)。大統領としては歴代史上最長の約26年間も在任し、その記録は現在も破られていない。
生涯
ケッコネンはフィンランド大公国中部の地域の農民の家で生誕。ヘルシンキ大学で法学について学ぶと農務省の職員及び弁護士として勤務した。学生時代は陸上競技の高跳び棒で活躍した。
1936年に初当選した(以降6選する)。
第二次世界大戦が終戦目前になるとケッコネンはソビエト連邦との友好関係を築くべきだと主張を繰り返した。
大統領
ケッコネンは大統領として、前任者のユホ・クスティ・パーシキヴィから「積極的中立」政策を引き継いだ。これは、北大西洋条約機構とワルシャワ条約機構の何れの加盟国とも良好な関係と広範な貿易を維持し、フィンランドの独立を保持するというもので、パーシキヴィ=ケッコネン・ラインとして知られる一方、批判者からはその宥和的な方針を「フィンランド化」と蔑まれた。
1975年にはヘルシンキにおいて全欧安全保障協力会議を開催し、ソビエト連邦含む東西35カ国との間で「主権の尊重」、「国境の不可侵」、「人権の尊重」などに調印する、ヘルシンキ宣言を宣言した。その功績からその年の有力なノーベル平和賞受賞候補者とされた。彼の外交・貿易政策は、ソビエト連邦という隣国の存在を前提としつつも、フィンランドの市場経済を西ヨーロッパ諸国から大きく劣後させることなく、フィンランドが欧州の統合プロセスへ漸進的に参加することを可能とした、とフィンランドの歴史家によって評価されている[2]。その一方で、権力への渇望や国内政治における分断統治の姿勢、純粋な野党の欠如が、特に政権の後期に於いてフィンランドの民主主義を著しく弱体化させることとなった[2]。ケッコネンの退任後、後任の大統領によって議会と首相の権限を強め、大統領の権限を弱めるようにするフィンランド憲法の改正が始まった。
ケッコネンは1970年代後半からソビエト連邦と友好関係を築けるフィンランド唯一無二の人物となったが一部からは長期政権が「独裁」と批判する者も現れたが1981年から健康状態が悪化し大統領を辞任した。
1986年8月31日に脳の血液循環障害及び脳循環不全によってヘルシンキの自宅で死去した。
幅広い政治経験の他にも、ケッコネンは作家としても知られている。大統領在任中にも友人のIlmari Turjaが編集長を務めた雑誌『Suomen Kuvalehti』に様々な偽名でユーモラスで情報に富んだコラム(causerie)を執筆したことが知られている。
人物
- 1983年、ケッコネンの名を冠したウルホ・ケッコネン国立公園が制定された。
ヘルシンキのセウラサーリ野外博物館内にはケッコネンの私邸が保存されており、ウルホ・ケッコネン・ミュージアムとなっている。このケッコネン邸の離れにあるサウナでは、1975年7月、ヘルシンキでの欧州安全保障協力会議 (CSCE) 終了後に、ソ連のレオニード・ブレジネフ書記長とアメリカのジェラルド・R・フォード大統領、ケッコネンが水入らずで入浴を楽しんだという逸話がある。
アメリカのジョン・F・ケネディ大統領夫妻と(1961年、ワシントン・ダレス国際空港にて) - また、シモ・ヘイヘとヘラジカ猟を楽しんだという逸話も残っている。
- かつてフィンランドで発行されていた500マルッカ紙幣にケッコネンの肖像が使用されていた。
出典
- ↑ Kekkonen, Urho. Kansallisbiografia (English edition). (The section "The rise to the position of 'autocrat'")
- 1 2 Kekkonen, Urho. Kansallisbiografia (English edition).
関連項目
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 ユホ・クスティ・パーシキヴィ |
第8代 : 1956年 - 1982年 |
次代 マウノ・ヘンリク・コイヴィスト |
