エクアトリア地方
エクアトリア地方 Equatoria | |
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地方 | |
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エクアトリア地方の地図(2015年の州境) | |
| 北緯4度52分0秒 東経31度35分0秒 / 北緯4.86667度 東経31.58333度 | |
| 国 |
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| 最大の都市 | ジュバ |
| 面積 | |
| • 合計 | 195,847.67 km2 |
| 人口 (2020年推計)[2] | |
| • 合計 | 4,203,125人 |
| • 密度 | 21人/km2 |
| 等時帯 | UTC+2 (中央アフリカ時間) |
| • 夏時間 | なし |
エクアトリア地方(エクアトリアちほう、英語: Equatoria)は、南スーダン南部の歴史的地方。中世から近代まで「スーダン」と呼ばれた地域の東南部に当たり、行政区画時代を指して赤道州(せきどうしゅう、アラビア語: Al-Istiwa'iyah)とも呼ばれる。奴隷貿易禁圧を口実にムハンマド・アリー朝の依頼を受けたサミュエル・ベイカー率いる遠征隊により1869年に征服、1870年に設置された[3]。1976年に廃止されて以降、一時期復活していた時を除いて行政区画としては存在しない。なお1948年以前は隣接するバハル・アル・ガザール地方を含んでいた。人口は約420万人(2020年推計[2])。
歴史

スーダン史では1820年代からのちのスーダンの領域がおよそ征服されるまでの時代をムハンマド・アリーがかつてオスマン帝国配下であったことからトゥルキヤと呼ぶ。1874年にはチャールズ・ゴードンが初代総督に任命された。ナイル系民族の形成された地域と考えられてきたが、ナイル系民族と周囲との境界や集団間の関係は曖昧である。1878年にはエミン・パシャが総督となり後のウガンダとなるブニョロの征服を試み西ナイル地方やラドなどを征服したがマフディー戦争の影響も受け孤立した。この時期の赤道州はエジプトの出先機関となった。バハル・アル・ガザールは歴史的に異なる地域であるが、赤道州設置時に征服されていたため領域に含まれたがイギリス=エジプト領時代の1948年に分離した。
赤道州の州都はジュバ、1956年時点の面積は198,121平方キロメートル、人口は903,503人であった(1956年国勢調査[4])。
第一次スーダン内戦後、1976年に赤道州は東西に分割され消滅し、第二次スーダン内戦の一因ともなった。1991年にかつての赤道州が復活し2人の知事が治めていたが[5]、1994年にスーダンの行政区が26のウィラーヤに再編され、東西赤道州と白ナイル上流部のアラビア語名に因むバハル・エル=ジャバル州となった。バハル・エル=ジャバル州は南部スーダン自治政府(現南スーダン政府)によって2005年に中赤道州に改名された。
行政区画
ここでは行政区画としての赤道州消滅後、元州域に置かれた行政区画を一覧とした。
1976年に赤道州は東西へ分割。1991年に再統合が行われたが、1994年に3州に再度分割された。また3州には24の郡が設置された。
2015年10月2日に再編され廃止されたが、2020年2月15日に復活した[6]。
東エクアトリア州(East Equatoria)
西エクアトリア州(West Equatoria)
中央エクアトリア州(Central Equatoria) - 1994年にバハル・エル=ジャバル州として設置、2005年に改名。
2015年-2020年
2015年10月2日、サルバ・キール・マヤルディ大統領令によって8州に再編された[7]。2017年にはグブドゥウェ州よりタンブラ州が分離し、9州となった。この行政区画は2020年2月15日に廃止された[6]。
脚註
- ↑ South Sudan/Administrative units at the Wayback Machine (archived 2017年2月1日)
- 1 2 Population projections for South Sudan by County 2015 - 2020 at the Wayback Machine (archived 2018年12月22日)
- ↑ 栗田禎子 1988, p. 173.
- ↑ “States of Sudan”. Statoids.com (2015年11月28日). 2018年2月20日閲覧。
- ↑ “States of the Sudan since 1991”. worldstatesmen.org. 2018年2月20日閲覧。
- 1 2 “Breaktrhough:South Sudan government resolves return to 10 States”. chimpreports.com (2020年2月15日). 2026年10月1日閲覧。
- ↑ “Kiir and Makuei want 28 states in South Sudan”. Radio Tamazuj. 2015年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ.
参考文献
- 栗田禎子「マフディー運動の史的再検討 : 19世紀エジプト領スーダンにおける「奴隷交易問題」の分析を通じて」『アジア・アフリカ言語文化研究』第36巻、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1988年9月、161-186頁、hdl:10108/21756、ISSN 0387-2807、CRID 1050001337707257600。