エレオノーラ・ダンジョ

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エレオノーラ・ダンジョ
Eleonora d'Angiò
シチリア王妃
エレオノーラとその姉妹
在位 1302年 - 1336年

出生 1289年8月
ナポリ王国の旗 ナポリ王国、ナポリ
死去 1341年8月9日
シチリア王国の旗 シチリア王国、ニコロージ
埋葬 シチリア王国の旗 シチリア王国、カターニア、フランシスコ会修道院
結婚 1299年
1302年5月17日
配偶者 フィリップ2世・ド・トゥシー
  シチリア王フェデリーコ2世
子女 ピエトロ2世
ルッジェーロ
マンフレーディ
コスタンツァ
イザベッラ
グリエルモ
ジョヴァンニ
カタリーナ
マルゲリータ
家名 アンジュー=シチリア家
父親 ナポリ王カルロ2世
母親 マリア・ドゥンゲリア
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エレオノーラ・ダンジョ(Eleonora d'Angiò, 1289年8月 - 1341年8月9日)は、シチリア王フェデリーコ2世の王妃。父はナポリ王カルロ2世、母はハンガリー王イシュトヴァーン5世の娘マーリアで、2人の間の三女である[1]。

生涯

エレオノーラは1299年、ラテルツァ領主ナルジョ・ド・トゥシーとトリポリ女伯ルシアの息子フィリップ2世・ド・トゥシーと最初の結婚をした。しかし、二人は親族関係にあったにもかかわらず教皇の結婚許可を得ていなかったため、1300年1月17日、教皇ボニファティウス8世によってその婚姻は解消された。

1302年5月17日にフェデリーコ2世と再婚した[2]。ナポリ王家のアンジュー家とシチリア王家のアラゴン家(バルセロナ家)とはシチリアを巡って争ってきたが、この結婚はその和平の一環として行われ、やがてカルタベロッタの和約(1302年8月19日)へとつながることとなる。なお、1295年にはフェデリーコ2世の兄で当時シチリア王を兼ねたアラゴン王ハイメ2世とエレオノーラの姉ビアンカ(ブランカ)が、1297年にはフェデリーコの妹ビオランテ(ヨランダ)とエレオノーラの兄ロベルト(のちのナポリ王)がそれぞれ結婚している。

カルタベロッタの和約により、かつてのシチリア王国は島嶼部と半島部に分割された。島嶼部は「トリナクリア王国」として、それまで同地を統治していたフェデリーコに帰属することとなり、一方の半島部は、当時は同じくシチリア王国と呼ばれていたが現代の歴史学では「ナポリ王国」と称される地域であり、それまで同地を統治していたカルロ2世に帰属することとなった。つまり、この和約は、不安定な現状を正式に追認するものであった。

エレオノーラは1341年8月9日、サン・ニコロ・ディ・アレーナ修道院(カターニア)で死去した。夫フェデリーコ2世は1337年に死去していた。カターニアのフランシスコ会修道院に埋葬された。

子女

エレオノーラとフェデリーコ2世の間には、シチリア王位を継いだ長男ピエトロ2世をはじめとして5男4女が生まれた。

脚注

  1. ↑ Musto 2003, p. 78.
  2. ↑ Dunbabin 2011, p. xii.
  3. 1 2 3 Grierson & Travaini 1998, p. 256.

参考文献